お願い

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「……その…すみません!」 「特にないのなら、私に着いてきてください」 相変わらず落ち着いた口調でそう告げたその人は、クルリと踵を返すとスタスタと歩き始めた。 「あっ、はい」 俯いたままだった私は慌てて顔を上げ、再び、その人の美しい背を追った。 ***** カラン!と軽やかなベルの音が鳴る。 「いらっしゃいませ!空いているお席にどうぞ」 カウンターの向こうにいたマスターが、柔らかな笑みを浮かべて声をかける。 前を歩くその人は、マスターに軽く会釈をするとお店の奥へと歩みを進める。 一番奥のボックス席までくると「どうぞ」と、向かいのソファーを手で示した。 「はい」小さく頷いて、促されるままソファーに浅く腰かける。 その人も、私の向かいのソファーに座った。 古い……ではなくて、レトロ……とも違うような、歴史を感じるお店。 今時の『カフェ』じゃなくて、『喫茶店』……『珈琲館』なんて響きが似合いそう。 他にお客さんは五~六組いるけど、年齢層は高め。みんながゆったりと、コーヒーやお店の雰囲気を楽しんでいるようだ。 平日水曜日の夜九時を過ぎた時間だなんて嘘のように、静かで穏やかな時間が流れている── その人は大通りの歩道を数メートル進むと、すぐに横道に入った。それから五分程歩き、このお店に到着した。
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