123人が本棚に入れています
本棚に追加
「……その…すみません!」
「特にないのなら、私に着いてきてください」
相変わらず落ち着いた口調でそう告げたその人は、クルリと踵を返すとスタスタと歩き始めた。
「あっ、はい」
俯いたままだった私は慌てて顔を上げ、再び、その人の美しい背を追った。
*****
カラン!と軽やかなベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ!空いているお席にどうぞ」
カウンターの向こうにいたマスターが、柔らかな笑みを浮かべて声をかける。
前を歩くその人は、マスターに軽く会釈をするとお店の奥へと歩みを進める。
一番奥のボックス席までくると「どうぞ」と、向かいのソファーを手で示した。
「はい」小さく頷いて、促されるままソファーに浅く腰かける。
その人も、私の向かいのソファーに座った。
古い……ではなくて、レトロ……とも違うような、歴史を感じるお店。
今時の『カフェ』じゃなくて、『喫茶店』……『珈琲館』なんて響きが似合いそう。
他にお客さんは五~六組いるけど、年齢層は高め。みんながゆったりと、コーヒーやお店の雰囲気を楽しんでいるようだ。
平日水曜日の夜九時を過ぎた時間だなんて嘘のように、静かで穏やかな時間が流れている──
その人は大通りの歩道を数メートル進むと、すぐに横道に入った。それから五分程歩き、このお店に到着した。
最初のコメントを投稿しよう!