19人が本棚に入れています
本棚に追加
見慣れた玄関の扉が開くと
そこには満面の笑みを浮かべる母の顔。
首元でユヅキも見慣れた
木の実の形のネックレスが銀色に光る。
「ユヅキ!さぁ、入って入って」
家の隅々まで充満した
甘いパンケーキの香りが
ユヅキの鼻腔にも流れ込んでくる。
──こんなモノに騙されて……私は……。
そっとバッグに手を突っ込み
ユヅキの手に固く握り締められたナイフ。
目の前には鼻歌まじりに玄関にあがる
年齢を感じさせない
母のスラリとした後ろ姿。
肩で緩く束ねられたユヅキには
全く似ていない栗毛色の柔らかい髪。
淡い水色や薄紫の花が描かれた
ワンピースの裾がフワリと揺れる。
刹那、ユヅキは何の躊躇無く
ナイフを母の背中に突き立てた。
鈍く光る凶器は、
一瞬にして薄い布を容易く突き破り
あっという間に贅肉の無い背中へ
ずぶずぶと吸い込まれる。
ガリッと微かに骨をかすめ、
それは内臓へ到達した。
──え?……そんなハズ……!
予想外の感触に手を離すユヅキ。
うつ伏せに倒れこんだ
母の下から滲み出る赤が
ワンピースを禍々しく染める。
むせかえるような鉄の臭い。
ただならぬ音を聞きつけたユヅキの父が
書斎のドアから勢いよく廊下へ
飛び出して来る。
「なんて事を……母さん、しっかりしろ」
救急車を呼びに行こうとする父の腕を
痙攣するかのように
身体を震わせながらも力強く掴む母。
「あなた!しっかりして。この娘を……
この娘を守って……。
アレを……あ…れを……」
かすれた声は途切れ途切れに消えゆく。
瞳からは徐々に光が失われ、
父の腕を掴んでいた手は
廊下に広がる血溜まりへと力無く転がった。
母の身体からは
赤い命がとめどなく溢れ出ていく。
その光景をただ茫然と見下ろし
立ち尽くす父。
いつの間にか母の足元にうずくまり
哀し気な遠吠えをする黒い老犬。
そんな筈は無い……そんなハズは……。
ソンナハズハナイ……。
──これは夢だ。
砕け散りそうに痛む頭を抱えながら、
ユヅキは呟き続ける。
ドコデ、マチガエタ?
最初のコメントを投稿しよう!