記憶

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見慣れた玄関の扉が開くと そこには満面の笑みを浮かべる母の顔。 首元でユヅキも見慣れた 木の実の形のネックレスが銀色に光る。 「ユヅキ!さぁ、入って入って」 家の隅々まで充満した 甘いパンケーキの香りが ユヅキの鼻腔にも流れ込んでくる。 ──こんなモノに騙されて……私は……。 そっとバッグに手を突っ込み ユヅキの手に固く握り締められたナイフ。 目の前には鼻歌まじりに玄関にあがる 年齢を感じさせない 母のスラリとした後ろ姿。 肩で緩く束ねられたユヅキには 全く似ていない栗毛色の柔らかい髪。 淡い水色や薄紫の花が描かれた ワンピースの裾がフワリと揺れる。 刹那、ユヅキは何の躊躇無く ナイフを母の背中に突き立てた。 鈍く光る凶器は、 一瞬にして薄い布を容易く突き破り あっという間に贅肉の無い背中へ ずぶずぶと吸い込まれる。 ガリッと微かに骨をかすめ、 それは内臓へ到達した。 ──え?……そんなハズ……! 予想外の感触に手を離すユヅキ。 うつ伏せに倒れこんだ 母の下から滲み出る赤が ワンピースを禍々しく染める。 むせかえるような鉄の臭い。 ただならぬ音を聞きつけたユヅキの父が 書斎のドアから勢いよく廊下へ 飛び出して来る。 「なんて事を……母さん、しっかりしろ」 救急車を呼びに行こうとする父の腕を 痙攣するかのように 身体を震わせながらも力強く掴む母。 「あなた!しっかりして。この娘を…… この娘を守って……。 アレを……あ…れを……」 かすれた声は途切れ途切れに消えゆく。 瞳からは徐々に光が失われ、 父の腕を掴んでいた手は 廊下に広がる血溜まりへと力無く転がった。 母の身体からは 赤い命がとめどなく溢れ出ていく。 その光景をただ茫然と見下ろし 立ち尽くす父。 いつの間にか母の足元にうずくまり 哀し気な遠吠えをする黒い老犬。 そんな筈は無い……そんなハズは……。 ソンナハズハナイ……。 ──これは夢だ。 砕け散りそうに痛む頭を抱えながら、 ユヅキは呟き続ける。 ドコデ、マチガエタ?
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