茜の覚悟

3/6
前へ
/10ページ
次へ
 当時、ドローンが映し出した惨状を目にした母がまず覚えたことと言えば、途方もない罪悪感だったと聞いている。無数の命を押し退けて助かってしまった―――その想いは、今なお母の心に燻り続けているようだ。  それだけの絶望に囚われても生きてこられたのは「娘を守らなければ」という使命感があったことと、何より最愛の夫と引き換えに手にした命だったからだろう。  従来の法律や憲法が大幅に見直され、定年も年金制度も廃止された日本の地下世界において、母は新首都「深東京」一の国立病院で長いこと看護士長を務め、80まで現役として後進の教育に力を注いだ。  私もよく「俯かないの」、「お星様になったお父さんがお空から見ているんだから」とたしなめられたものだ。そういう、苦境にあっても笑顔を絶やさない人柄のためか、85歳になっても母には連日来客がある。今日も昼過ぎにスーツを着た3人の男性が訪ねてきて、2時間くらい話し込んでいった。  いくつになっても多くの人から当てにされる母を誇りに思う一方、そろそろ母のことを放っておいてやってほしいとも思ってしまう。人生を国家に捧げ、女手一つで仕事も子育てもやり遂げてきた人なのに、まだ誰かに尽くせというのか。老いること、衰えることを死ぬまで許されないのだとしたらあんまりだ。  本人は「惜しまれている内が花だね」なんて嬉しそうにして見せているけれど、客対応をした後は自室でぐったりしていることが多い。消耗が激しくなってきているのだ。後は自分のことだけを考えて、ゆっくり余生を楽しんでほしい。  ただ「では『どうさせてやることが余生を楽しむことに繋がるのか』」と問われると答えに詰まる。  母の望みはただひとつ―――地上の景色を生で見ることだ。直接そう聞いたわけではないけれど、ずっと傍で見てきたからわかる。シェルターの各地に点在する立体映像の花や植物、歴史資料を介して目にする太陽では五感を満たしようもないらしい。  深東京には巨大なショッピングセンターや映画館、レストラン、それに多くの娯楽施設があるが、耐久性や安全面の問題で天井から壁、床にまで国指定の建材が使われており、見渡す限りの白、白、白。母の心からの笑顔を引き出せる場所はない。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加