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晩冬のとある日、写真好きの彼女は桜並木に囲まれた川のほとりにいる。寒さがぶり返しているのか、この季節には珍しく、雪がしんしんと降っていた。カメラを首にさげて、積雪を踏む小気味良い足音を耳の端に聞きながら、川に沿ってゆっくりと歩いていた。しばらくして立ち止まると、カメラを構える。
パシャ、軽やかな音が鳴った。しかし彼女のカメラではない。不意に鳴った音のほうへ、彼女はカメラのレンズから眼を離して振り向いた。そこには、こちらにカメラを向けている男性が一人。
カメラから出した彼の顔には、一瞬、どこか寂しい瞳が浮かんで見えた。
「こんにちは」
一変して爽やかな笑顔を振り撒く彼に、さっきのは見間違いだったか、とそれに応えるように挨拶を返した。
「すみません。すごく綺麗な絵だったもので、つい」
「いえ、私なんかが被写体でよければ…」
彼女は戸惑いながらも答えた。
「いつもここにいらしてるんですか?」
彼は川辺の景色を横目に、ゆっくりと歩み寄りながら尋ねた。
「…いえ今日が初めてで…。散歩をしていたらここが眼に入って、なにか惹かれるものがあったものですから、写真におさめようと…。…そちらはいつもここに?」
「ええ、毎日とはいかないですけど、よく写真を撮りに。…いい景色でしょう?」
「はい、よく来るのもわかります」
やわらかに笑う彼に共感しながら、彼女は微笑んだ。
「ここにはね、ここにしかない何かがあるんですよ…」
彼は何かを探すように辺りを見渡すと、「ほら、あそこ」と指をさした。
彼が指した方を見ると、数本の桜の木から雪を被った蕾が淡いピンクの花を覗かせている。雪の白と相まって、まるで雪の地面から新芽が芽吹いているような、そんなあたたかい表情があった。
「ほんと…、きれい」
「ついこの間まで急に暖かくなってたから、早とちりして出てきたんでしょう」
「異常気象ですし、両手放しには喜べないですけど…、でも粋なことしますよね」
「確かに、粋なはからいですよね」
異常気象をまるで人のように話す彼に、心が緩んだのか少し笑いながら答えた。
「もしよろしければ、お名前を教えていただけませんか?」
「ミツハシです。あなたは…」
「オオカワです。大きな川で大川。これ以上ないくらい単純な名前でしょ?覚えやすさに定評があるんです。下の名前もタロウなんで、皆からは名前の記入例の人って、よくからかわれ
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