後編

2/6
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
「起きたら必ず母に今の状況について尋ねにいくこと」「そのあとには必ず日記を確認しておくこと」「大学に行く必要はない」「今日起きる事全てを、そのときの気持ちも含め、詳細に覚えておくこと」「寝る前に必ず今日のことを日記にしるしておくこと」など。 私が持つ「私の昨日の記憶」には身に覚えのない文字が、私の筆跡で確かにそこにあった。メモの通りに母に今の状況について尋ねにいくと、私はその日1日の記憶を眠りにつくと忘れてしまう、前向性健忘症という名の病気だという事を告げられた。最初は当然驚き、狼狽えてしまったけれど、そんな私を毎日何年も世話をしてくれた母のことを想うと、明るく気丈に振る舞わずにはいられなかった。 どうしようもない絶望と不安の中で、再び自室に戻りベッドに横になった。 この先どうすればいいのだろう。 いや、この先なんて、私にはもう考える必要はないのかもしれない。 この先なんて、明日の未来なんて、今日の私には何の影響も記憶も与えられない。 今日で止まってしまう人生のようなもの。 もしも、明日がないのも同じだったなら、私は、私には、1日しかない、あと1日しか人生を、思い出を、刻むことができない。どうすれば…… どうしようもない…… そんな考えを巡らせていると、天井に大きな文字で書かれたメモが再び眼に入った。 「…必ず日記を確認しておくこと」 メモ書きの横には矢印が書かれており、その先を見ると机の方にも同じメモが2つもあった。びっくりマークや二重線で強調されていて、明らかに他のメモとは異質だ。 つられて日記を読みに机の椅子に腰掛けた。日記はすぐに見つかった。机の真ん中に日記だけがポツン、と置かれていたからだ。 日記を手に取ると、その赤茶色の皮表紙をなぞるように触れながら、記憶を確かめるように、ゆっくりとページをめくった。 日記をつけ始めた最初のページには、私がたった今考えたようなことが、ありのまま、そのままに、そして鮮明に書かれていた。それはその後数ページにわたって同じ内容が続く。まるで今の考えが、絶望が、そのまま結論となってしまったようで、希望の欠片のない深い暗がりに心が転がり落ちていくのを感じた。 しかしそんな思いは、数ページめくった先にはもう消し飛んでいた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!