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知らなかった。自分の住んでいる町が、こんなに輝いているなんて。小さな町だと思っていたけれど、あの灯りのひとつひとつに誰かの生活や、何かしらの物語がある。
太陽は山陰に沈み、今は黄昏の暗いだいだい色が、辛うじて隣の村や海を照らしている。
「寒くないー?」鯨が私に呼びかけた。
すごい向かい風なのに、鯨の背中は不思議と暖かい。
「寒くないよー!」と、私は応えた。私は気になっていた事を聞いてみた。
「ねえねえ、確か教科書のお話ではクラスの子も先生も、みんな背中に乗せて飛んだんでしょ?あの話は本当?」
「だいたい本当だよ~だけど実はあの時、先生が腰の具合を悪くして体育の授業が出来ないから、助けに来て欲しいって先生にお願いされてたんだよー実は先生は校庭の桜の木のところで休んでたんだ。先生、教科書に載せる時話を変えちゃったんだよね」
「うそー」
「本当だってばー」
他愛の無いやり取りの後で、鯨は言った。
「どう?楽しいかい?今辛い事が有っても、たいがいの事はやがて思い出さなくなる。そして、本当に大切な記憶や、忘れてはいけない約束だけが、ちゃんと残る様に出来ているんだ。君がぼくを呼んでくれたみたいにね」
家々の灯りが目にしみて、また景色がぼやける。いいかげん涙は乾いたと思っていたのに。
黄昏時も終わりすっかり空が暗くなった頃、プルルルルルル…携帯が鳴った。母からの着信だった。
『今どこ!?ご飯冷めるでしょ!早く帰って来なさい!』言いたい事だけ言って、電話はすぐに切れた。
「もう夕ご飯の時間だね」
鯨雲は、家の近所のビルまで連れてきてくれた。
ビルの屋上に私を降ろすと、
「さようならぁ」と、ヒレをぱたぱたさせて、夜の空へ泳いで行った。
「さようならー!」と、私も返した。
「ねえ、また会えるー?」
「わかんない!こう見えても忙しいんだーー」
鯨の返事、最後の方は風に紛れてほとんど聞き取れなかった。
月明かりを反射して青白く光る鯨の背中は、やがて、他の雲に紛れて見分けがつかなくなった。
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