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平屋は大きいが、庭は小さな先生の家には、一本の老木が植わっている。天から降ってくる何かを受け止めたい。そんな意思を感じさせる形の木の幹に、持ち運び式の将棋盤が置いてあった。ルールは知っていても戦術を知らない私にすら、戦況がどうなっているのかわかった。まだ勝負は始まってすらなかった。そしてまだ始まってすらない将棋盤を、先生は老体に鞭打ってせっせと片付けていた。必死に太い幹に縋りつき、顔を真っ赤にしながら片づけている先生のことを、雇い主ではあるし、深い恩義すら感じているのだが、ひどく滑稽に見えた。
もちろん、私がそんなことを考えているなんておくびに出すことはなかったし、幹に将棋盤を設置したのは、他の誰でもなく先生なのだ。本人に話を聞いたことがないので確実にこうだといえないのだが、これは彼が、一局指せる相手がこの家、しいてはこの巨大な平屋の近所にはいないにもかかわらず、誰かと屋外で、しかも風通りのいい、背の高い場所で指せたら、きっと楽しかろうという、先生の先生による先生のための思惑で設置したものである。ようは自業自得、因果応報である。私にどうこうできる問題ではないので、
なるべく感情を表に出さず、ただ黙ってみていればいいということも知っていた。
先生が将棋盤と格闘しているのを横目に、猫耳ヘルメットをかぶった先生の若奥様が黒いスクーターに乗って出かけて行った。容姿も服装も若々しい彼女は、一見すると先生の娘のようにもみえる。歳は、20代前半、もしかしたら私よりも若いかもしれなかった。だが、ほんとうに親子のような歳の差の先生と若奥様の仲は非常に良好だった。なぜそこまで仲良くなれるのか、私は家から出る前の若奥様に尋ねたことがあるのだが。
「なんでかにゃ?」
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