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火葬場での待機時間。
義父とあの男が出ていったのを見ていた恵里は、控え室を出て人気のない場所を探し回った。
「ーーー知っていらしたのですか」
通り過ぎようとした空き部屋から聞こえた声に、恵里は歩みを止め扉へと近づいた。
向こうから見えないよう扉の影に身を隠し、会話を窺う。
「…あの日。君がチャペルに入っていくのを目撃して、後を追いかけたんだ。だから見ていた」
「そう、でしたか」
「彼のことは知っていた。司と別れるよう彼に直接言ったこともある」
「………」
「けれど、まさか司の中でこんなにも大きな存在だとは思っていなかったし、司という人間にとってとても大切な存在だったことも、私は理解していなかった」
扉越しだから義父の表情までは分からない。
けれど、静かな落ち着いた声で話しているはずなのに、酷く苦しんでいるような気がした。
「私自身、妻とは家同士が決めた結婚だった。けれど私は私なりに妻を愛したし、妻もまた私に寄り添ってくれた。そういうものだろうと思っていたんだ。彼とのことは一時の火遊びで、結婚すれば変わるだろうと」
「…そうではなかったと、分かったんですね」
「『子供を生みさえすれば誰でもいい』と言われたときは正気を疑ったよ。けれどなんてことはない、彼との関係を否定した理由を条件とした。それだけのことだった。司にとって女性とは道具として利用するだけのものだったんだな」
扉に置いていた恵里の手が小刻みに震えてくる。
葬儀の場でも流れなかった涙が、今になって溢れ出てきた。
「……女性というよりは、司にとっては零だけが愛情を向ける存在で、愛を強請りたいと思う相手だったんです。それを…零でさえ、ちゃんとは理解していなかった」
「そうだね。彼を…零君を愛人にすればいいだろう、と言ったときの司の顔は忘れられない。その時はまだ零君が亡くなっていたなんて知らなかったから。あの時から司は壊れていたんだな……」
「零も…予想外だったと思います。司はきっと御堂の当主として幸せに暮らしていくだろうと思っていたみたいですから。まさか、こんなにも執着されるなんて思ってもみなかったと思います」
義父の小さな笑い声が微かに漏れてきた。
「……零君との仲を認めていれば、何か変わったのだろうか」
「タラレバ、は悲しいだけです。もう、全ては過ぎてしまったことですから」
「………そうだね」
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