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震える手で受信画面を開く。
……きっと仕事上の社交。挨拶だよ……
期待をしないようにしながら、メールを読む。
『加賀谷翡翠様、本日は有り難うございました。夜分に申し訳ありません。あれから家族の方にお話し出来たか気になりましてメッセージを差し上げました。差し出がましいようでしたら、本当に申し訳ありません。もし宜しければ、何かお力になれましたら幸いです。 時任奏芽』
……ほら、営業メールだ……
そう思いながらも、ときめく。唇が緩やかな弧を描いた。
『時任奏芽様、こちらこそ本日は有難うございました。お陰様で、先ほど家族に自分の意志を伝えました。相当驚いたようで未だになんのリアクションもありません。ですがスッキリしました。明日にでも、今後占い師として一人で食べて行けるようにイベントの参加などの相談をさせて頂けたら、と予約をさせて頂こうと思っておりました。こちらこそ、有難う御座います。 加賀谷翡翠』
誤字脱字がないか見直してから送信する。明日改めて予約のメールをしよう、と思いつつ。返事を期待してしまう。
突然、鳥の囀りの音が携帯に電話が来た事を告げる。まさか! と期待してしまう己を制しつつ、逸る気持ちをおさえて携帯を手に取る。電話の主は
『時任奏芽』
震える手で、携帯画面の応答をタップする。
「はい、翡翠です」
鼓動が苦しいくらいに高鳴りつつも、努めて落ち着いた声で。
「あの、突然にお電話すみません。居ても立っても居られなくなりまして……」
少し動揺したような彼の声。携帯という機器を通しても心地よくよく通る声だ。
「いいえ」
「あの、頑張りましたね」
「有難うございます」
「えーとその……」
「はい?」
彼の様子がおかしい。明らかに何か動揺と戸惑いを隠せない様子だ。
「その、よ、良かったら、なんですが。今度、今度その、食事に行きませんか?」
「え?」
翡翠は我が耳を疑った。
……これは、都合の良い妄想からくる夢? それか私にたかろうとしている詐欺?……
一抹の疑念が過る。
「いえ、その、営業とか仕事を抜きに、個人的に……」
必死な様子の彼。だが、俄かには信じがたい。
「すみません、突然に。実は昼間お逢いした時、個人的にもっとお近づきになれたらと……その。急には信じられません、よね。タロットで私の本心を占って頂けたら、信じて頂けるでしょうか?」
携帯を置いてスピーカー状態にし、自然にタロットを切り始める。一発で占えるマルセイユ版タロット大アルカナ22枚だ。けれども途中で手を止めた。
……止そう。人の気持ちを占っても、本当の気持ちなんて予測でしかない。まずは自分がどうしたいのか、これが先だ。占いは補助的なモノに過ぎない。占い師が占いに依存なんて木乃伊取りが木乃伊になるそのまんまじゃないの……
「あの……翡翠さん?」
不安そうな彼の声が響く。スピーカーを元の音量に戻すと、携帯を取り、右耳にあてた。
「はい、奏芽さん。お待たせしました」
ドキドキと今にも躍り上がりそうな鼓動を抑えながら答える。
「とても嬉しいです。是非」
自然に口元が綻んだ。それは月光に照らされ、神秘的な深い光を放つ宝石の翡翠のように妖艶に見えた。
「本当ですか! 良かった!」
嬉しそうに声を弾ませる彼の声が、喜びの息遣いと共に心地よく耳に響いた。
【完】
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