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最後の一羽を送り出してしまえば、男の務めは終わる。もう、自分の人生においてもうアンゴラウサギと出会うことはないだろう。
ケージを抱えて家畜舎から外に出た男は少し歩いてから振り向いて建物を眺めた。
「やっぱり、経営が苦しかったのですか」
男よりも先に進んでいたチセも歩みを止めて振り返り、男にそう言った。
「そうなりますね。他の養兎場も立ちいかなくなっていると聞きます」
チセが振り返った先の建物は、かつて、国内で最大の規模を誇った養兎場だった。しかし、もうその養兎場に全てのウサギは居なくなり、一羽すらも残っていない。男の言葉は寂しさも悔しさも言葉には含ませず、どこか清々しげだった。そして、その後に続けた「……もう、時代が終わったのでしょうね」というその言葉に、幾多様々の感情をにじませた。
男は長年──戦後すぐからこの養兎場に勤めている。この養兎場の閉鎖は、男にとって自身の、いや日本の一時代……「戦後」という時代がようやく終わりを迎えたように感じられた。
「業界全体が、厳しいのですね」
チセは少し表情を固くする。
「ええ。もう日本の養兎業は下火です。今は中国やフランスから安くて、品質の良い物がたくさん入ってきます。価格でも、品質でも、とても太刀打ちができません」
アンゴラウサギは採毛用のウサギ品種である。
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