■第三章 アンゴラ兎興農社、解散

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 幸男が言う通り、最近の憲三は大企業に飛び込みの営業をかけている。それまでの、品川だの、蒲田だの、ウサギの毛を加工する小さな毛織物の工場や、メリヤスの工場に営業をかける方針から思い切って方向転換した。  小さな工場は、原料を加工できても需要を「作る」ことはできないのだ。 憲三は、考え、そして、需要を作り出すことができるのは消費者に強い影響力を持つ大企業しかないと思い当たり、大企業にアプローチをかけている。  紡績業が当時の日本の主要産業であることは先にも書いた通り。  日本の紡績業は、明治期の大実業家 渋沢栄一が蒸気機関を用いた近代紡績を本業とする大阪紡績会社を立ち上げたことに端を発する。  大阪紡績会社の成功により日本には空前の紡績ブームが発生した。大小の紡績会社が次々と設立され、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるまでの成長を遂げ、世界有数の大都市に返り咲いた。後に「十大紡」と呼ばれる大紡績企業の多くは大阪を中心に設立された関西の企業である。  とはいえ、いくつかの大手紡績会社は東京にもある。憲三はそれらに飛び込み、そして、その結果、幸男の言う「門前払い」を受けていた。 「いや、待て。今日は門前払いじゃなかったぞ。ちゃんと、担当者、という人と話をした」  憲三は慌てて、営業行為に進展があったことを強調した。 「なるほど、で、結果は?」 「……ダメだった」     
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