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*二
かくしてアンゴラ兎興農社は解散した。
そして、新たに旗揚げされたのが、「東京アンゴラ兎毛株式会社」。
社長には財界に顔が利く衆議院議員 鷲沢与四郎を据え、齋藤憲三自身は専務の座に就いた。これにより、憲三は大企業に袖にされてしまう原因をひとつ、解消した。
もうひとつ。解消すべき原因。それは兎毛の生産量だった。
わずかばかりの量では大企業で製品化しても採算が合わない。まとまった量の兎毛が必要だった──。
昭和八年(一九三三年)、秋。
チセは、人気の無くなったかつての妖怪屋敷を寂しげに眺めた。
まだ築五年も経っていないこの家は、一年前からもう誰も住んでいない。
多数のウサギを飼養するのに東京は狭すぎた。
憲三とその一家は、吉祥寺の自宅兼ウサギの飼育場を引き払い、広大な土地を求めて郊外……神奈川県の鶴間村に移住した。社長鷲沢の口利きもあったのか、地権者の小田急電鉄との交渉も円滑に運んだようだ。
チセは、気軽にウサギに会いに行くことができなくなり寂しいと思う反面で、憲三の事業が今度こそ成功するように、と祈る気持ちで憲三一家を神奈川へ送り出した。
それから、一年が経っていた。
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