■第三章 アンゴラ兎興農社、解散

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「よう、チセ子。少し、大きくなったな」  声の方へ顔を向けると、よれよれにくたびれた鞄を持つ怪しい男、齋藤憲三の姿がそこにはあった。 「憲三さん。やっぱり諦めて吉祥寺に戻って来たの?」  チセの期待を込めた言葉を憲三は 「はは、これから景気は良くなる」  そう否定した。しかし、その言葉は未だに事業の景気が悪いことを意味していた。 「捕らぬウサギの皮算用、ってやつだね」 「それを言うなら、タヌキだな。今日はな、なんとこれから大博打だ」 「大博打?」 「ああ、なんと、とある大企業の社長と面談の約束が取れた。それでこれから訪問、ってところだ。さて、チセ子。その大企業とは何だと思う」 「……どこ?」 「大鐘紡(だいかねぼう)だ」  カネボウ。正式名称は鐘淵(かねがふち)紡績株式会社。  この時代の東京でこの企業の名を知らない者は居ないと言っても過言ではない。  十大紡に名を連ねるのはもちろんのこと、東京府南葛飾郡の鐘ヶ淵を拠点とするこの会社は、大正から昭和初期にかけて日本で最大の売上高を誇る名実ともに日本のトップ企業であった。  そのトップ企業の社長が、つい先年にも力不足で会社を畳んだ貧乏神にも等しい男と面談をしてくれるのだという。     
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