■第三章 アンゴラ兎興農社、解散

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 鐘淵紡績株式会社社長 津田信吾──その人は、カネボウが昭和恐慌の煽りで二割から四割もの賃金切り下げを従業員に発表したことで発生した労働争議、いわゆる「鐘紡争議」の収拾にあたった人物で知られる。  鐘紡争議が発生したのは津田が副社長の時のことだった。  カネボウ側は従業員側の要求を跳ね除け、争議を起こした幹部の解雇、妥協工作、警察の動員、果ては暴力団を使い鎮圧にあたるなど(注:現代とは違い、企業が暴力団を使うことは少なくない時代であったことをご留意いただきたい)、あらゆる手段を用いて従業員側の結束を切り崩し、争議を従業員側の敗北に導いた。  反面で、津田は上役に対し孝行息子のように尽くす一面を持ち、工員からのたたき上げながらついには日本のトップ企業の二代目社長にまで上り詰めた。  豪腕にして狡猾、相手により硬軟を巧みに使い分ける、まさにタヌキだった。  その敏腕怜悧な経営者を前にして、憲三が会社を畳んでまで手にした約束の「三分」は、矢のように過ぎ去ってしまった。  その結果、どうなったのかは火を見るよりも明らかだろう。
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