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■第二章 帝国陸軍のウサギ
*一
昭和七年(一九三二年)、春。
チセは尋常小学校の五年生になっていた。
彼女がアンゴラウサギと出会ってもう二年と半年が過ぎようとしている。クラスメイトがアンゴラウサギに飽きていく中、チセだけは飽きもせず近所のウサギ屋敷に通い詰める日々を送っている。
「チセ子。今日もこいつらの面倒を頼むな」
チセの学校が終わると、憲三はウサギの面倒を全てチセに任せて会社を飛び出してしまう。手に持つ鞄ははちきれんばかりに膨れ上がっている。憲三は品川などの工場地帯に刈り取ったウサギの毛の納入、営業に向かうのだ。
「行ってらっしゃい」
チセはそんな憲三の後姿を見送り、ウサギ屋敷の裏庭に向かう。
裏庭には幸男が作った立派な兎舎が鎮座していた。奔放な兄に付き合わされている弟の日用大工技術はさすがなもので、兎舎はさながら人間にも住みやすそうな新築のアパートのようにも見える。
しかし、そんな兎舎には重大な欠陥があった。
今日も良い天気だった。
良すぎる、天気だった。
兎舎に備え付けられた温度計が示す気温は、春の盛りながら摂氏二十五度に迫る。
チセは額の汗をぬぐうとため息を漏らした。
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