第一章 わたしピンクのサウスポー

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大震災発生時の政権与党、革新平和党(RPP)の行動が、日本を混迷へ導く引き金となった。 反米親中路線を強力に推進するRPPは、アメリカが提案した、米軍救援部隊の派遣を拒否するいっぽうで、中国に対し、災害救援部隊の派遣を要請した。 この要請に対し、中国政府は即日、海軍を主力とする人民解放軍部隊を派遣。 ――しかし、その部隊の行き先は、被災地ではなく、尖閣諸島だった。中国は、人道派遣を口実に、かねてより計画していた戦略要衝地帯の制圧を、実行に移したのであった。 尖閣の島嶼軍を制圧した彼らは、艦隊を北上させ、沖縄へ進攻する姿勢を示した。 これに対し、政府はひたすら「話し合いによる解決」を主張。被災地救援のための自衛隊の出動すら「他国を刺激する」という理由で、命令を出し渋る有様だった。 この無策に、国民の怒りが爆発。沸騰する世論に押され、大野党・自由国民党と、自衛隊統合幕僚会議が、合同で《救国戦線》の設立を宣言。 史上初、アメリカの黙認の下での、軍事クーデターが始まった。 そして、クーデターは、呆気なく成功した。 臨時政府所在地の大宮から、陸上自衛隊・東部方面隊を主力とする部隊が、首都に向かって進撃。 首相でRPP党首の神澤尚樹は、この時初めて、自衛隊に治安出動を命令。しかし、首都防衛を任とする第一師団は、出動拒否という、未曽有の行動に踏み切った。 これを受け、二日目の朝には、救国戦線軍が易々と都心を制圧。首班の神澤と閣僚たちは中国大使館に亡命し、政権は瓦解した。 国会と首相官邸を制圧した救国戦線政府は、直ちに、防衛出動を発令。アメリカ第七艦隊と海上自衛隊の連合軍が、南西諸島へ急行した。
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