第4章 あるありふれた恋の話

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デートのあとにもう帰ろうか、送っていくよと駅の方へと彼女を促そうとするとばん、と道の傍らのベンチに意固地な顔つきで頑として座り込んでしまった。それからあのきっとした凛々しい目で僕を見上げて強い調子で言い放つ。 「もう。…何なの米村さん。そんなにわたし、魅力ない?女として見るの無理ってこと?いつになったらあんな風にそうっと、びくびく遠慮しながらじゃなくて…、ぎゅうっと思いきり抱きしめてくれるの?」 「…うん」 何て説明したらいいんだろ。僕は彼女を見下ろして、納得してもらえそうな、そしてなるべく正確な言葉を探した。 「ごめん。君のこと女性として見られないなんてそんなこと、全然。…でも。君みたいな特別な女の子に僕なんかが触れるの、おこがましくないかなとか。傷つけたりしないようにそっと大切にして。それから時間をかけて距離を縮めて、いつかはとは…。焦らずゆっくり関係を進めていこうって思ってた」 「もう充分。時間はかけたでしょ。わたしたち、付き合い始めて一年だよ。これ以上ゆっくりされたらわたし、おばあちゃんになっちゃう」 その台詞を思い出して今現在の僕はちょっと笑ってしまう。二十年以上経っても彼女はまだまだ全然おばあちゃんでもおばさんでもない。若い人間が想像するより人ってゆっくり歳を取るもんなんだなって今ならわかる。 だけどその時の彼女は真剣だった。強い意思を込めた眼差しで僕を見据えて言葉を続ける。     
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