限りない世界よ、なぜ俺のものにならない?

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 その時俺は、いつもよりずっと下のほうから世界をみていた。べったりと地面に座りこみ、ベンチに背を預けて。  どういうことかわかるだろうか?  つまり俺は、先程まで座っていたベンチのすぐ下で、ジベタリアンをしているのだ。ほんの数十センチ下からみているだけなのに、世界はずいぶんと違ってみえる。見下ろしているつもりだった世界は、本当は俺を見下ろしていたんだ。  ベンチがあるにもかかわらず地べたに座っている俺は、かなり奇異にみえるだろう。それなのに、気にかける者は一人もおらず、通りかかる人はみな、それぞれがそれぞれの日常を、淡々と生きている。  この無関心さが東京のいいところだ。でも、ときどきちょっと淋しくなる。  自分の行動のイカれ加減をきちんと認識している俺だったが、どうしても人間のいないところにはいきたくなかった。  誤解してほしくないのだが、俺がジベタリアンをやるのはこれがはじめてだ。言葉にすると、なんかとてつもなく変だが、これでも俺はまっとうな人生を歩んできたつもりだった。真面目だけがとりえで、ほとんど遊んだことがなかった。堅い会社に就職して、ほどほどの人生を、小さな喜びをかみしめるような日々を、生きたかった。  いまどきウザいかもしれないけど、それが俺の夢だった。  それなのに、今日、そんな俺の人生は、大きく軌道修正した。
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