どうか気づかないでいて

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 2人はある程度頼まれた買い物を済ませ、帰路につこうとしていた。だんだんと夜が近くなり、夕飯の買い出しに訪れる人が多くなってきたようだ。ただでさえ混んでいた市場がさらに混み始めた。  裾を掴むメルクの手が左右に振られているのが分かる。後ろを振り向くと、少し辛そうな表情をしたメルクが必死についてきていた。 「大丈夫?」 「うん、大丈夫……」  先程もやった会話を繰り返す。  しかしそれでも辛そうな彼女が心配で、エルスは早めにこの混雑を抜けようと思った。さすがに裾を掴んだままだとはぐれてしまうかもしれないと思い、後ろに手を回そうとする。  彼女の手を掴もうとしたその時、泥棒! と言う声とともに近くを薄汚れた少年が走り去っていった。少年の体がメルクの手を取りかけたエルスの手に当たり、彼の手は弾き飛ばされた。その後に続いて数人の男が人を掻き分け走ってくる。 「わぁっ!」 「メルク!?」  ぐっと後ろに引っ張られた感覚の後、メルクの手が上着から離れたのを感じた。慌てて後ろを見ると、人の波の中に小さな頭が飲み込まれていく様がちらりと見える。 「メルク!!」  エルスは周りの人を押しのけて彼女を追った。微かにメルクがエルスを呼ぶ声が聞こえる。彼女の名を叫びながら、その声がだんだんと遠くなっていくのを、彼は絶望的な気持ちで聞いていた。  やっとメルクを見失った辺りまで来ると、もう既にそこには彼女の姿は無かった。もう、彼女の声もどこからも聞こえない。頭から血の気が引いていくのが分かる。  なぜ初めから手を繋いでおかなかったのか。――ひとえに、自分の照れ隠しのためだった。手を繋ぐのが恥ずかしかったから、気持ちがばれるのが怖かったから。  ああ、僕のせいだ。僕のせいでメルクがいなくなった。  震える手をじっと見下ろす。いったいどうすればいいのだろう――。とにかく、彼女を探さなければ。彼女なら人攫いにどこかへ連れて行かれてしまうという可能性は低いとは思うが、万が一ということもある。早く、早く探さなければ。
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