どうか気づかないでいて

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「離してよ!」 「そんなこと言われて離すバカがどこにいるんだよ。お前には立派な商品になってもらわないとだからな」  ぐいぐいと手を引っ張られながら、メルクは必死に抵抗した。……振りをした。本気で抵抗している、と全く疑いもしていないだろう男は卑しげに笑う。メルクは心の中でほくそ笑んだ。  何とか油断を生まなければ。今はまだ、その時ではない。何としてでもここから抜け出して、エルスの元へ戻らなければならないのだ。きっと彼もメルクのことを探して心配しているだろう。 「おう、良いモン捕まえてきたじゃねぇか」  薄暗い裏路地に差し掛かったところで、急にかけられた声にメルクはばっと振り向いた。その振り向きざまの顔をがしりと何かに掴まれる。メルクは鈍い痛みに顔をしかめた。  欠けた歯の隙間から放たれる生臭い息が頬を撫でる。 「ほぉー。中々上玉じゃねぇか。水色の髪なんて珍しいな。しかも顔も良い。こりゃ高値で売れるな」 「だろ?」  メルクを連れてきた男は得意げな表情を浮かべる。  そのタイミングで、メルクはここぞとばかりに怯えた表情を作ってみせた。 「怖いか? そうだよなァ、おめぇ、遠い異国に売られちまうんだもんな」  にやりと笑う、歯欠け男。その右手の拘束がゆるむ。しかも、もともと連れてきた男はメルクの右手しか掴んでいなかった。その男はニヤニヤとこちらを眺めるばかりで、掴んだ手に気を配っている様子はない。  今だ。  メルクは自分のスカートの裾を左手で一瞬のうちに捲り上げた。 「へっ? ……ぎ、ぎゃあああああああああっ!」 「な、何だ!? どうした!?」  スカートを捲り上げた一瞬。その一瞬の間に、メルクは太ももに巻きつけたベルトから小ぶりのナイフを左手で取り出して目の前の男に切りかかったのだった。飛び散る血飛沫。その赤色が自分の服にかかったのを、メルクは眉をひそめて見つめた。  一方、切られた男は自らの手首を押さえて後ずさる。その手が小刻みに震えていた。  ――なんだ、全然大したことないじゃん。警戒して損した。  メルクは冷め切った瞳で男を見る。歯欠け男は大した傷でもないのにのた打ち回って苦しんでいた。
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