どうか気づかないでいて

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「おいっ! 何してんだてめぇ!!」  メルクを連れてきた男はやっと状況を掴めたのか、数秒遅れて動き始めた。その腰は完全に引けている。彼女はナイフを右手に持ち替えた。逆手に持ったそのナイフについたばかりの血が、ぬるりと鈍く光を反射している。  男から目を離さず、メルクは冷静に太ももに手を伸ばした。もう一本のナイフを左手の指の間に挟む。 「ひぃっ」  完全に及び腰の男はずるずると後ろに下がった。  その背が、路地の壁に当たる。 「私を狙ったことを後悔するのね」  メルクは得意げに笑った。そして、その左手を振る。  ヒュッと息を呑む音が彼女の耳に届いた。  メルクの左手から放たれたナイフは、男の右耳すれすれの壁に突き刺さっていた。その刃がわずかに当たっているのか、男の耳からは血が流れている。ナイフ投げは得意なのだ。もちろん狙い通りのところにナイフは突き刺さった。耳を少し切って脅しをかけることも計算済みだ。  男はへなへなと地面に座り込んだ。  その時、メルクは完全に油断していた。後ろに気を配るのを忘れていたことに気づいた時にはもう遅かった。 「……この……クソガキがっ……」 「――えっ」  メルクの足をがっしりと掴んでいたのは、先ほど手首を切られてのた打ち回っていた男だった。  足首を掴まれた感覚の後、体のバランスを崩してメルクは倒れそうになる。何とか踏みとどまるが、さらに強く足首を引かれてついに後ろに倒れ込んだ。 「いたっ……」 「よっぽど痛い目に遭いたいみてぇだな?」  倒れ込んだメルクを、歯欠け男が見下ろしていた。その目が据わっている。  失敗した。メルクの頭の中にその言葉が響く。  まだ血の流れる男の右手首は下に垂らされたままだったが、その血を止めようとしたらしい左手にも真っ赤な血がついていた。赤い手の平がこちらに迫ってくる。  メルクは慌ててナイフを構えようとするが、その手をいつの間にか近付いてきていたもう一人の男に掴まれてしまった。  ああ、ダメだ。もう相手の油断も誘えないだろう。  なぜあの時後ろに気を払わなかったのか、と詰めが甘い自分を責めた。やはり実戦から離れて時間が経ってしまったからだろうか。  そして、脳裏に浮かぶのは先程はぐれてしまった彼の優しい瞳。  ――助けて、エルス……。  メルクが諦めかけてぎゅっと目を閉じた時だった。
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