種田

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種田

 あれから一週間が経った。あの出来事がまるで夢だったかのように、この一週間岡安と会話を交わすことも、友原の香水の匂いが鼻をくすぐることもなかった。その理由は簡単。今まで通りってことだ。当時は早く忘れようとあまり考えないようにしていたが、日を追うごとに記憶は鮮明になり、げんなりした。  もうすぐ五月だっていうのに、海が近いせいなのか、まだ風は冷たい。路面を走る電車に乗っていつもは帰るのだが、今日はなんだかあの出来事を考えながら歩きたい気分だなんてノスタルジックなことを考えた自分を恨む。寒さに身が縮む。  海岸線を横目に歩いていると、ポケットに入れた携帯電話が振動するのがわかった。悴んだ手で取り出し、画面を見ると、岡安からのメッセージが画面に表示された。 【どこ?】  一週間ぶりの連絡は酷く淡泊で、とても親しい間柄のような内容。足を止めて、寒さでうまく動かない指で画面をフリックする。 【帰ってるとこ】  すぐに既読がつき、岡安からの着信。通話ボタンを押して、耳にあてる。寒さで冷たくなった携帯が耳を刺激した。 「一緒にご飯食べよー」  俺が言葉を発する前に、岡安の間延びした声がそう言った。俺の返事を待たず、駅前のファストフード店を指定すると、待ってるねと一方的に電話を切られた。  外気に無防備にさらされた手は先ほどより感覚が鈍くなり、断りの連絡をするのも面倒で、徒歩で十分ほどの店に向かって早足で歩みを進めた。
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