岡安

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岡安

 西日が照っていた。眩しくて、肌を焼けるように熱くする。種田くんみたいだなって考えながら、もうすぐ鳴るであろう帰りのチャイムを待つ。目を瞑ると周りの会話や笑い声がより一層大きく聞こえた。  チャイムが鳴り目を開けると、いつも気怠そうに帰路に着く種田くんが、素早く身支度をして、席を立つのが見えた。僕の体はそれに反応し、無意識に後を追う。 「随分、表情が明るいね」別に表情なんて見てないけど、足早に教室を出た種田くんの表情を想像して、そんな言葉が口から出た。「どこ行くの?」 「帰るんだけど」顔だけをこちらに向けた種田くんがボソッと言う。視線は下を向いたままで、交わることはなかった。 「そんな楽しそうに帰ってるの見た事ないんだけど」  ああ、まただ。僕は誰の何でもない。種田くんがどこでなにをしようが、僕には関係ない。それを痛感したからこそ、意地の悪い台詞が口をついて出てしまう。途端に悲しくなって、筋肉質なその腕に手を伸ばそうとしたとき、わりぃ、と謝罪の言葉を言われてしまい、手を止める。 「急いでるから」  歩き出した種田くんを引き止める術がなく、その場に立ち尽くす。西日がやけに眩しくて、景色はオレンジ色に染まっているのに、僕の心は真っ黒になっていく。  徐々に遠退く種田くんの背中を見送って、ため息をついてから僕も歩き始める。玄関にはもう種田くんの姿はなくて、そんなに大事な用事があったのか、とまたため息が出る。  種田くんはいつも連絡するとバイトの日以外は当然のように来てくれて、そりゃあたまには断られることもあったけど、特定の人がいる感じはしなかった。でもそれはあくまで「感じ」なのであって、確信ではない。考えれば考えるほど、僕は種田くんのことをまるで知らない。真面目そうに見えて授業をサボって煙草を吸う。読書が好きでスポーツができる。程よく筋肉がついた体と顔が恰好良い男の子。そんな具合だ。今まで他人に興味を持ったことなんてほとんど無いから、その人のことを知る術を僕は知らない。三年目になる高校の同級生の名前だって、ほとんど知らない。  どんどん頭が重たくなってきて、自分の家についた頃には吐き気と目眩が襲ってきた。玄関を開けて靴を脱ぎ、電気も付けずにまっすぐトイレに向かう。便座に向かって膝をつき、胃液を吐き出した。  胃の中が空っぽになった頃、隣に放り投げたスクールバッグが振動しているのがわかった。嘔吐で奪われた体力を振り絞って携帯電話を取り出すと、愛しい彼の名前が映し出されていて、薄暗い小部屋の中で燦々と光る液晶を眺めながら、声を殺して泣くことしかできなかった。  どのくらいの時間泣いていたのか。トイレの硬い床に着いた膝が痛くて冷たい。喉も乾いて息をするのも辛かった。壁に手をついてゆっくりと立ち上がる。重たい足を動かしてリビングまでたどり着いても、そこには果てしなく暗くて、冷たい空間が待っている。もう夕日は沈んでしまって、足元もあまり見えないくらい暗い。  両親は僕が八歳の頃に離婚した。母親に引き取られ、この部屋に引っ越してきたけど、すぐに母親は若い男を作ってろくに帰ってこなくなってしまった。中学生の時に売りを始めて、僕にお金があることがわかった母親はたまにお金をせびりに帰ってきては、僕に優しくしてくれた。だめな母親だけど、僕はそんな母親が好きで好きで堪らない。棚の上に飾っている二人で写った昔の写真を眺めながら、また涙が出た。もう涙を拭くことも面倒で、そのままソファーにうつ伏せで横になり、呼吸をすることだけを考えていたら、いつの間にか眠りについてしまっていたらしい。目が覚めると、温かい手の感触を頭に感じた。目を開けようとしたが、部屋には明かりが点いていて、眩しさにまた目を閉じる。 「・・・母さん?」 「残念、俺」  薄く目を開けると、ソファーの肘掛けに腰を下ろし、僕を見下ろす種田くんがいた。少し恥ずかしそうに笑う彼の表情がとても可愛くて、また目頭が熱くなる。 「びっくりした?」 「なにここ、天国?」 「ばかかお前」そう言って、僕の頭を優しく撫でてくれる。「鍵開いてたから勝手に入ったわ」  僕の家、教えてないのにどうやって来たんだろうとか、そもそも何で来たんだろうとか、用事があったんじゃないのかとか、聞きたいことはたくさんあったけど今はこの幸せな時間を噛み締めて、もう一度目を瞑った。  僕があまりに泣き続けるものだから、痺れを切らした種田くんは台所へ消えてしまった。深呼吸をして息を整える。まだ夢心地の意識の中で、種田くんの名前を呼ぶ。 「ありがとう、来てくれて」 「ほんと、手間のかかるやつだよ」戻ってきた彼の手には濡れたハンカチがあって、僕の目の上にそっと乗せる。「目、冷やしとけ」  それから二人で並んでソファーに座り、種田くんの淹れてくれたココアを飲んでいるころには、僕の気持ちはもうすっかり穏やかになっていた。無防備に置かれた手に自分の手を重ねると、それを受け入れてくれる優しさと温かさにほっとする。  僕はなにも聞かなかったけど、彼は沈黙に耐えかねたのか、ここに来たのは僕に用事があったからだとか、家はたっちゃんから場所を聞いたとか、言い訳みたいにポツリポツリと話し始めた。視線は前を向いたままだったが、少し照れ臭そうなその横顔に愛しさが込み上げてきて、頬に軽いキスをした。 「怒った?」 「怒んねーよ今更」  そう言いながらこっちを向いた種田くんの唇に、今度は自分の唇を押し付けた。後頭部に手を回し、力一杯押さえて、逃げられないように固定する。でも予想していた抵抗はなく、舌を捻じ込んでも、それは変わらなかった。種田くんの生暖かい舌を感じる。息が苦しくなるくらいまで種田くんを堪能して、唇を離す。 「女とするのと、そんな変わんねーのな」 「え、もしかしてそっち系目覚めちゃった?」 「んなわけねーだろ。引いてるよ」  そう言いながらも優しく笑う種田くんは本当にずるい。
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