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「…期待なんか、気にしないでよかったんじゃないの。だって貴方が産まれて来たっていうその奇跡だけで、貴方は特別なの。ちがう?それはみんな同じでしょ。生きてるだけで、生きてただけで、皆凄くて偉いのよ」
いつか、聞いたセリフだ。
こちらを振り向く様な衣擦れの音がして、僕も彼女の方に視線を向けた。真っ黒でまるで吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳に見つめられ、ドキッとした。
それに、母親がよく語ってくれていたことを彼女の言葉で鮮明に思い出させられ、心の蟠りが優しく溶けるような感覚さえも感じた。
「…僕のお母さんみたいなことを言うね」
「えっ、説教臭かった?」
「ううん。ただ、小さい頃よく僕の支えになってくれたお母さんの言葉を思い出したんだよ、僕が生きているだけで偉くて、お母さんにとって、世界で1番可愛い子だって、そう言ってくれたんだ」
「…泣いてるの?」
「…う、わ。」
目から涙がとめどなく流れているのに、彼女に指摘されてから気付いた。
慌てて涙を制服の袖で拭うが、追いつかないほどに涙は次々と流れた。
母親が居なくなってから、母親を思って泣いたのは今この瞬間が初めてだった。
「…お母さん、死んだんだ。僕より先に、死んでしまったんだ」
「うん」
「唯一の、理解者だった」
「…うん」
僕の言葉に相槌だけを打ち、彼女は不意に僕の体をぐい、と抱き寄せた。
春に咲く花の様な、優しい女の子らしい香りに包まれる。女の子に抱き締められるのは、お母さん以外に初めてだった。
「私もね、ずっと前に、お母さん死んじゃったんだ」
「…うん」
抱き締められたまま彼女のか細い声に耳を澄ます。
「だからね、今日死のうと思ったの。…私にとってもお母さんだけが、唯一の理解者だったから」
「うん、同じだ」
「そう、おんなじ。それにね、」
そう彼女が優しく囁いた瞬間に、僕の重心が塀の外へと傾き、彼女に抱き寄せられたままバランスを崩して2人で落下していく。
内臓がふわりと浮く感覚がした。
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