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ー1ー
「松茸狩り?」
同期の前島が、残業中の僕の部署――経理部――に、ひょっこり顔を出したのは、10月も半ばを過ぎた水曜日だった。
この夜の僕は、役職者も入れて10人程の事務所で、1人残業していた。もうひと踏ん張り、終了の目処が立った所だったので、デスクトップから意識を回収し、隣席の河野さんの事務椅子を占拠した、図々しい訪問者に向き合った。
「外村、まぁた貧乏クジ引かされたのか」
「大きなお世話だよ」
横目で睨んでみせるが、左手は差し入れのボトルコーヒーを素直に受け取る。
今年配属された新人が、上半期の売上を一桁多く入力したまま、決算報告資料を作成したことが発覚したのが、先週の初め。上へ下への大騒ぎの末、土日返上でやっと修正作業が片付いた。この予定外の業務に追われていた間、申請されていた書類の整理とデータ入力――という地味な仕事が放置されていた。当然、私生活に支障のない若手の独身男にお鉢が回ることになる。つまりは、僕だ。経理部では……いつものことなのだ。
「実はさ、取引先の田渕部長が、穴場を教えてくれたんだよ」
営業部の前島は、日焼けした健康的な頬を緩めた。彼は、取引先の部長や課長のお誘いで、やれ釣りだ、山菜取りだ、ゴルフだと年中精力的に休日を捧げている。
もうすぐ30に手が届くという「今時の若者」にしては珍しく、公私の枠に拘らない付き合いを快諾するため、年輩のオヤジさん連中には随分可愛がられているらしい。
「どうせ、とんでもない辺鄙な山奥なんだろ? 嫌だよ、面倒臭い」
「そう思うだろ? それが、大して険しい山道じゃないんだよ。それに、純国産だぜ? 買ったら高いのに、田渕部長の穴場には、ボコボコ生えてるって話だ」
ボコボコは大袈裟だと思いつつ、ちょっと心が動いたのは……確かだ。
国産の松茸なんて、平リーマンの安月給じゃ、おいそれと手を出せる代物じゃない。せいぜい韓国産ぐらいしか口に入らないが、図体は立派でも大味で、香りも風味も比べ者にならないのだ。国産松茸という燦然たるブランドだけに許された、あの堂々たる風格……そして自然の恩恵を全身に蓄えた芳しい香り……やはりキノコ界の頂点と言えよう。ああ、想像するだに堪らない。
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