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次の日。俺は休みだったので、測ったみたいに待ち合わせ時刻ピッタリに、花純が旅館の入り口にやって来た。
薄いピンクの花柄のワンピースに、白のサンダルを履いている。フワフワの髪は耳の後ろでハーフアップにしていた。
「おはよう、春彦さん」
ニッコリと微笑う彼女は、やはり誰から見ても魅力的だと思う。早く彼女を好きにならなくては、と自分を急かす。
玄関から出ようとすると、後ろから声がした。
「あっ、ちょっと待ちなさい!」
振り返ると、小説家が立っていた。先日とはまた違う黒のマキシ丈のワンピースを着て、耳が千切れそうなほど大きなゴールドのリングピアスを付けている。
またあの顔が隠れるくらい大きなサングラスを付けて颯爽と登場すると、花純の格好をまじまじと眺め、大きな声で突然「あなた地味ね?」と言い放った。
場違いなのはお前の方だ、と思った。
その彼女の絶妙な間が面白すぎて、笑いが堪え切れなくなって。声を立てて笑ってしまった。
すると、場の空気が変わったのが分かった。
花純も含め、仲居さんも、夏輝も、両親まで。俺の顔を凝視した。
「…なに?」
そう言うと、夏輝が呟く。
「兄貴が笑ってんの、久しぶりに見た」
そうだったっけ、と内心思った。いつもお客様に微笑いかけてるし、人の話に笑っていたつもりだ。
「ていうかアナタ!」
場の空気も読まず、また小説家が大きな声を出した。
「どこ行くの?私との勝負は?」
それを聞いて、昨日「また明日」と言ってしまったことを思い出した。
その会話は、花純も家族も勿論 聞いている。何だか、浮気相手が家に押しかけてきた、みたいな嫌な気持ちになった。
「ごめん、今日は彼女と出かけるから」
「彼女?」
「ああ、俺の婚約者」
サングラスの向こうで、彼女がしかめっ面をしたのが分かった。明らかにさっきとは違うトーンで、「そう、邪魔したわね」と呟いて、背を向ける。そしてそのまま、旅館の奥に消えた。
「…誰?」
「うちに長期滞在してる人」
「そうなんだ、良いの?」
花純は笑顔で訊いてきたけど、微かに口元が震えていた。
「大丈夫、花純が先約だから」
そう言ったけど、彼女は傷付いた顔をした。
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