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母さんの勧めでギリギリ通学圏内にある某有名大学に進学すると、彼女とは学校が離れた。2年弱くらい会えない期間があったんだけど、皮肉にも成人した彼女と兄さんが交際を始めたのをキッカケに、また会えるようなった。
週に1回、兄さんの休みに合わせてマメに会いに来る彼女は、高校の時よりも垢抜けて更に綺麗になっていて。「秋宏くん、おはよう」なんて声をかけられても、目を合わせることも出来なくなった。
2人が並んで歩くのを見る度に、胸の奥に鋭い棘を刺されたような気持ちになって。そんな時は画用紙に思いっ切り絵を描くんだけど、それをまた母さんに叱られて、日々ストレスを募らせた。
そんな、ハタチの春。
旅館の中庭で池の鯉を描いていると、廊下を歩いている兄さんと目が合った。少し、気まずい。僕がそう思っているだけかもしれないけど。
話すことなんて特に無いのに、兄さんは下駄を履いて、こちらにやって来た。
「鯉、描いてるのか?」
「…うん、」
「流石、上手いな」
後ろから覗き込みながら、兄さんが呟く。それから暫く、沈黙した。僕が画用紙の上を走らせる鉛筆の音が、やけに大きく聞こえる。
「なあ、秋宏」
「…なに?」
「美大、行かなくて良かったのか?」
実は、行きたいと思っていた。もっと絵のことを深く知って、才能のある人たちの刺激を受けて。
特に何の取り柄もない僕だけど、これだけは自分らしく出来る事だったから。
だけどそんなこと、母さんに反対されるに決まっている。あの人は小学校以降、僕の絵を評価してくれた事がない。
「…別に、ただの趣味だから」
そう言うと、兄さんはしゃがんで僕の顔を覗き込んだ。
「母さんがダメだって言っても、俺が助けてやるぞ?少しくらいは貯金もあるし…今からでも編入したらどうだ?」
カチン、ときた。兄さんが僕のことを想って言ってくれているのは分かる。だけど、なんでよりによって兄さんなんだ。これをなっちゃんに言われたら、もう少し素直に受け入れられたかもしれない。
「…余計なお世話だよ。邪魔しないでくれない?」
低い声で返すと、兄さんは「悪い」と謝って、戻っていった。
ただの八つ当たりだって分かっている。だけどどうしても、兄さんにだけは甘えたく無かった。
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