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「悪い悪い! 怒らせるつもりはあったんだけどさ」
呼吸をひとつも乱さず、猫がひとを食った台詞を吐く。蜻蛉は息を吐き出し、眼鏡を押し上げた。一度だけ、声のない叱咤で頭を振る。長い三つ編みが不機嫌な蛇のように震えた。
「不思議なんだよなあ。なんでお前がこんな依頼受けたのか。考えてみたけど、思い当たるフシはひとつしかない。報酬だ」
駐車場に雨音と猫の声が響いて、奇妙な反響が空気を揺らす。
「この首代がどんくらいかはいまいち把握してないけど、まあけっこういったんじゃないかな。ハイリスクハイリターンってやつ。そだろ?」
猫は話しながら移動している。少しずつ近づく不愉快な声に、蜻蛉は静かに耐えつつその場から動かない。
「いや! 責めてるわけじゃないよ。お金はとっても大切だからね。せせこましいことに、まあ世の中は金が全力疾走してるからな。私だって金なしじゃ生きてけない」
猫の声は、とうとう蜻蛉の隠れる自動車の反対側に辿り着き、
「世の中金って言う奴がいるのも、情けないけど無理ないのかもな!」
吐き捨てながら、車体の屋根に飛び上がった。
その瞬間、
「うおわ!」
蜻蛉が構えていた消火器から勢いよく粉が噴射された。
直撃は避けたものの、猫は身をよじって転げ落ちた。消火器は一度噴射を始めれば終わるまで止まらないタイプのものだ。蜻蛉は猫を仕留めるため、消火器から銃に武器を持ち替えながら車体の反対側に回り込む。
コンクリートの床に片膝を落とした粉まみれの猫と、眼鏡を通した蜻蛉の視線が交差した。引き鉄を絞ろうとした蜻蛉だが猫の方が一瞬速く動き、懐に飛び込まれる。跳躍と同時にナイフが一閃し、蜻蛉の銃口を捉えた。
耳障りな金属音を掻き消せず、押し殺された銃声が無念そうに滲んで消えた。
振り抜かれたナイフの背で強制的にずらされた銃口は、蜻蛉の狙いを外しはしたが、猫の額を切り裂く銃弾を送り出した。
「あいた」
できた傷を無視し、猫がそのままナイフを捻って銃を落とそうとする。武器を奪いにくるだろうと予想していた蜻蛉はあっさりとそれを手放した。代わりに、逆の手で引き抜いたもう一丁の銃の銃口を猫に。
「ちょっ」
猫が顔を引きつらせ叫ぶ。
「二丁あんのかよ!」
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