合歓木(ねむのき)の家

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 やっと建てることができた僕の家は、少し変わっている。家の中央が大きな吹き抜けになっていて、その下にある囲炉裏みたいな床の囲みから、一本の合歓木(ねむのき)が生えているのだ。  この合歓木は、僕が十五の頃から育ててきたもので、一緒に暮らし始めた頃は、一本の枝に過ぎなかった。それが今ではこんなに大きくなり、たくさんの葉を茂らせている。  しばらく木を見上げ、遠い日のことを思った。これで僕は、ようやく彼女を地上に戻してあげることができたのだ。  天窓も吐き出しの窓も、全て開け放った。風が吹き合歓木の葉が揺れると、どこからか川の音とセミの声がしだす。  そう。あれは僕が十歳の夏だった。  その年、父の仕事に付き添い母が家を離れたせいで、夏休みの間預けられた母の生家は、大きな川のそばにあった。そばとは言っても、川面がすぐそこにあるわけではなく、川は家が建つ崖の七メートルほど下で渦を巻いて音を立てているのだが、家の裏庭の端、崖に突き出す岬みたいになった場所に大きな合歓木が一本生えていて、僕はその下で一人遊ぶのがどうしてか好きだったのである。  遊びと言っても他愛ないもの。例えば合歓木にしがみついて川を見下ろす、といったことなのだが、川上の瀬で夏の陽に煌めいていた流れが、狭さと角度を得て崖下に一気になだれ込み、岸にぶつかり跳ねて泡だつ姿などは、ずっと見ていても飽きることがなかった。  泡立つ流れのそこかしこで、幾つもの渦が回っている。見つめるうちに僕は、まるで指先に惑わされる蜻蛉みたいになってしまい、頭を引っ込め合歓木に顔を寄せる。幼い頃に抱かれた母と違って、合歓木の肌は冷たくて硬かったが、心安らぐのは母のそれと同じで、息をついて空を見れば、頭上に拡がる合歓木の葉の向こう、蒼い空を白くちぎれた雲が流れていたりするのが、なぜか幸せだった。  雲が茜に染まり始める頃になると、合歓木は花を咲かせる。つるんとした若枝から、手指を広げたみたいに伸びる花枝(かへい)の先、丸いつぼみが割れてたくさんの花糸(かし)がまろび出る。白い糸を思わせる長い花糸は、先にゆくほど色が濃く、花全体を見れば、まるで兎の毛でできた化粧筆(けしようふで)を押し拡げて、その先を紫の紅に浸したような、可愛らしく美しい姿をしているのだった。
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