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「…一つ訂正する。忘れたかったんじゃない、大事にしまっておきたかっただけ」
「うん?」
さっきの言葉だ。
忘れたいのに嫌でも思い出したなんて嘘だ。
「ただこっそり思い出に取っておこうと思ったんだ。孝弘からもらった内緒の思い出にしようって。毎年、中秋節はこんなに大騒ぎするなんて、あの時は知らなかったから」
「そっか。そんなふうに思ってたんだな。同情したのかと思ってた」
「そんなんじゃない。同情なんかでセックスしない。ただおれが孝弘に抱いてほしかっただけだよ」
「言ってくれたらよかったのに。そのままの気持ち」
「言えないよ、未成年の学生さんに。そんなわがままなこと…」
顔を上げることはできなくて、ゆらゆら揺れる水面を見つめている。孝弘の視線がじっと自分を見ているのを感じた。
湯の中で両手を握られる。それに励まされるように言葉を重ねた。
「それと、ごめんね。どんな形でも孝弘がおれを忘れてなかったの、ちょっとうれしかった」
怒るかもしれないと思いながら、打ち明けた。こんなふうにめんどくさい事を考えているなんてわざわざ知らせるのもバカだと思うけれど、なんとなく黙っているのは卑怯な気がしたから。
「恨まれてもいいから忘れないでって、たぶん、どっかで思ってた」
一睡もできずに寝顔を見つめて、この夜を覚えていて欲しいと痛いくらいに願っていた。臆病な祐樹の精一杯だった。せめて孝弘の記憶に残りますようにと。
「ごめんね、孝弘」
濡れた両手で頬を挟まれて、正面を向かされた。恐る恐る目線を合わせたら、孝弘は怒った気配はなく慈しむような表情で祐樹を見つめていた。
照れくさくて急激に心臓の音が速くなる。
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