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狡猾さ…が日本人?
それでは沙門への顛末を述べよう。もっとも沙門、得度とは云ってもサマネイ、見習い僧のことであるが。パンサー(雨期)の3ヶ月間だけ一般人が僧形になって寺で修業する風習が現地にはあって俺の場合もそれにあたる。自ら応募したわけではない。経緯があった。バンコックに来る前俺はヨーロッパでバイトをしながら長期を過ごし、中近東インドを経由して帰国の途上にあった。しかしその間旅費で思った以上に金がかかり、インドでバンコク・香港経由沖縄までの航空券を買ったところでその先の目途が立たなくなった。致し方なく日本の家族にバンコクに送金してくれるよう頼んだあとでここに至った次第。航空券はストップオーバーだったからバンコクでの一定期間の滞在は可能だった。滞在費をできるだけ安くするために同市のユースホステルに泊りながら金が届くのを待っていたのである。ユースには俺同様にヨーロッパから中近東を経て帰国しようとしている日本人たちや、同ルートで日本入りを目指すヨーロッパの若者たちなどが出たり入ったりしていた。そのいずれもが中近東インドなどと比べれば安全で居心地のいい、また食べ物の旨い此処バンコクに長めに逗留するきらいがあったようだ。そんな連中の中である日見知った顔を見つけて俺は話しかけた。「俊田さんじゃない?元気?」いきなり名を呼ばれてしかし俺を思い出せない風の彼は始め怪訝な顔をしてみせた。「おたく誰?なんで俺の名前知ってるの?」と云ったあとけんもほろろに背を向けて連れの男と話し出す。いたって小柄ながら(後の)俺に云わせればこれぞ日本人と称すべき、相手と状況しだいで硬軟を使い分け得るせちがらさと狡猾さを持っていた。今の俺で云えば家族からの送金を待っているどこか不安げな気配でも読み取ったのだろう、変に取りつかせまいとする様子が有り有りだった。しかしいまだその日本人の特質に疎かった俺はあせりまくってなおも話かける。前に一度会ったきりだったが彼の人と形を捉えていた俺にあっては少なからず傷つきながら、である。「何言ってんのよ。ほら、カブールでいっしょだったじゃない。ハシシの話なんかしてさ…」いまいましげにふりむいた彼の顔が急激にほころんでいく、俺を思い出したのだ。
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