ムノウ氏

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「それが目的か」  講義室の扉を出ると、村山は廊下にいた。 「何のことですか。」 「あの嬢ちゃん、(けしか)けたな」 「嗾けたわけじゃありません。自分は、現場を見て不審に思ったことを、天野巡査に話しただけです。」 「それで結果、自分の調べたいことを調べられるようになったわけだ、」  ちょっとツラかせ、喧嘩紛いな言葉で言われて清丸は村山の後に続いた。背は低いが肩幅が広く、肉厚な体は不恰好で漬物石を思わせる。梅菓子のコマーシャルに出てきたキグルミに似ている。  自販機の設置された喫煙所に来ると、村山は背広のポケットから煙草を取り出し、火をつけた。 「最近は電子煙草なんてもんがはやってるが、やっぱり火が付かない煙草となると味気なくていけねぇ。」  前置きがわりに呟いて火を点ける。お前も吸えとばかりに差し出されたソフトケースから目礼して1本抜き取る。次いで差し出されたライターで火を点けると口の中に毛羽だった舌触りが広がった。  清丸はこの感触が嫌いだった。  口中の粘膜を毒素が舐めて這いずり回り、挙げ句体内に侵入して肺胞の一つ一つにタールをべったり塗りつけていく。酸素と結合した毒素が脳の正常な機能を阻害して脳細胞が死ぬ。思考の一部を破壊される。  如実にそれを感じるのは眩暈に似た酸欠が頭に靄を掛ける瞬間だった。 「何が怪しい。」 「全部ですね。ホンボシはおそらく単独犯ではありません。」 「なんでそう思う。」  古い集塵機のモータ音がカラカラと鳴る。どこかのネジが弛んでいる。 「第一に凶器です。一方は撲殺、他方が頚動脈の切断による失血死。撲殺のナシは出ていますが、失血死の凶器となった刃物は現場から発見されていない。」 「周響吾が持ち去った可能性が高いだろう。」 「その割に、なぜバーベルは持ち去らなかったのでしょう。」 「重かったから、嵩張るから、逃走の妨げになるから、いくらでも理由なんざ思い付く。」 「じゃあ、刃物を持ち去った理由は?軽かったから、嵩張らなかったから、逃走の妨げにならないから?それとも、考えたくはありませんが、もっと明確な理由があったのでしょうか?」 「次の犯行……或いは立て篭もりのためか」 「だとしたら、もうそれが行われていてもおかしくありません。だが、前者の場合、引篭もりによる身内への恨みという動機が薄れてしまう。」  村山は何か言いかけて息を吸い込む。長くなった灰を叩いて灰皿に落とす。集塵機の上に置かれた灰皿は既に山になっていた。 「捜査撹乱のために凶器を持ち去ったのならバーベルを放置したことと矛盾します。事実バーベルから採取された指紋は周響吾のものだった。これは修二を殴打したときの握り痕と一致します。指紋が採取された以上、周響吾が修二殺害に何らかの形で関与したのは間違いようのない事実。結果、周響吾をホシとしたスジが立ってる。捜査撹乱とは到底言えません。」 「他には、」 「殺害方法の不一致です。」 「確かにそれに関しては据わりの悪い現場だった。」  煙草を挟んだ掌で口許を覆い、村山は視線を左上方に動かした。 「周修二の殺害は明らかな過剰殺生です。被害者を痛め付けて喜ぶ残忍性が見てとれる、極めてサディスト的な犯行です。対して妻の恭子にはそういった点は見られない。作業的に殺害した印象が強い。」 「修二に一層の恨みがあったからじゃないのか。」 「それにしても恭子の殺害方法が綺麗過ぎます。」 「キレイ?」  村山は法令線を深め、嫌悪の表情を示したが、清丸には見えていない。 「片付けた、或いは処理したに過ぎないのだと思います。邪魔だから、どけた、それだけです。」 「おい……」  そうなると、主犯(ホンボシ)の目的は何か。修二の惨殺か。そうだとしても修二は響吾の手によって殺害されている。これは動かない。この夫婦から何か得たい物でもあったか。しかし、自宅から現金、貴金属、通帳その他の紛失した痕跡はない。それどころか、家捜しした様子さえ見られない。 「そこから推察される犯人像が修二殺害の犯人と一致しないんです。一方は苛烈、他方は極めて冷静。別々のヤマなら理解できる。でも、同じ現場に一人の下手人とは到底考えられない。」  しかし、先の捜査会議で提示された足跡痕は3人分。修二と恭子のものらしき素足のもの、素足と靴下の同サイズのもの。周宅の下足入れに残されていた男性革靴、スニーカのサイズから本部はこれらが響吾のものと目している。だが、サイズが同じだけで別人の可能性を排除するのは早計にすぎる。詳しい鑑定結果を待つ他ないが、あの場に2人、犯人がいたと考えた方が自然だ。  では、周響吾はどこに。そして、共犯者の動機は。 「キヨ、」  小さいが鋭い声に清丸は漸く村山の顔を見た。鼻筋に皺を寄せた明らかな嫌悪が見て取れる。 「間違っても殺害方法を『キレイ』だとか、被害者を『片付けた』なんて言うな」 「すみません、村山さんに話すと思考がまとまるものだから。」 「同田貫1係長はそれを気味悪がってるぞ。」 「同田貫係長、」  よく思われていないことは判っていた。それが本能的なものであるのか、或いは経験から来る刑事の勘なのか、清丸にはわからないしそんなものは信じていない。 「出来るだけお前を捜査に加えたくないのが嬢ちゃんの本心だ。」 「そうですか。」  しかし、今の同田貫係長が表立って清丸を外しにくることはない。清丸を外すということは、村山班を事件から外すことになるからだ。そこまでの理由を清丸はまだ同田貫に与えていない。 「評価されるだけの働きがまだ出来ていないということですね。邁進します。」  曖昧に見えるよう口角を上げ、煙草を消す。    
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