ムノウ氏

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 村山は溜め息吐くように細く長く煙草を吐き出した。 「……俺には何であんなにお前を嫌うのか判らんがね。」  吐き出したままの連続した動きで灰皿の中を掻き分け、微か覗いたアルミ底に火種を押し付けて消した。  好かれる要素はないだろう、好かれるように行動をしていないのだから。  捜査一課一係長といえば次の人事では捜査一課課長になる可能性が高い。それも同田貫は叩き上げにして40代で警視正になった女だ。運と実力と勘、そのどれもを備えている。次の人事で捜査一課課長になるのは可能性の問題ではなく、最早確定事項だ。  それゆえに清丸の持つが同田貫に警戒と嫌悪を与えているに違いない。 「自分は、尊敬しているのですが、」  眉間に軽く力を籠める。やや口角はあげて、無理に笑っている風を装った。  村山は基本的には従順な、しかし跳ねっ返りが強く、芯のある人間を好む。例えるなら天野のような人間だ。 「自分の仕事は人に取り入ることではなく、犯罪を正すことなので」  村山は鼻で息を吐く。 「だとしたらもう少し上手いやり方を考えるべきだな」 「他人に阿る暇があるなら、自分は可能な限り最短で真実を見つけます。」  貰った煙草を取り合えず短くなるまでは吸い、清丸も灰皿に押し付けて消した。有毒の煙が気障ったらしい台詞と一緒に口の中にこびり付いていた。少しわざとらしすぎる物言いだったか舌先がぴりぴりと痺れるようにもぞ痒かった。  だが、次の瞬間には背中を思い切り叩かれた衝撃に息が詰まり、それどころではなくなっていた。 「まあ、あんまり単独暴走するんじゃねぇよ。」 「充分に、気をつけます。」  やたらと満足げな村山の声に苦い笑いで返す。 「しかし、今さら鑑取りにでたところで何かアテはあるのか。」 「一先ずは嶺岸澪子にもう一度当たってみます。正直、帳場の筋読みが周響吾を追っている以上その方面から攻める他ありませんから。」 「判った。会議(こっち)はどうにかするから好きなだけ調べろ、重要そうなことは伝えるよう四十万(しじま)にもいっておく。」  村山の言葉に同じ班の生っ白い平安顔が浮かび上がる。毒にも薬にもならなそうな、ぬぼうっとした巡査長の顔だった。年下階級上の清丸に対し扱いづらさを隠しもせず、また、まさに文官といった風体の四十万は資料班のほうに回され、周辺コンビニ、個人宅が契約した防犯会社から回収された防犯カメラの画像から、周響吾の足取りを洗い出す作業に回されていたが、こちらもこれといった収穫はない。ひょろ長い背中を丸めるようにしてひたすらに小さな画面を眺めていた姿を思い出した。もし仮に自分が四十万と同じ仕事を割り振られたとして堪えられるかと自問し、まあ、それはそれなりに自分に何某かの理由をつけて作業に没頭するようにするのだろうと結論付ける。 「失礼しますッ」  思考を引裂く声量が喫煙所に響いて清丸は首を伸ばしそちらに目を向けた。セミロングの黒髪を無理矢理にひっつめたこりすがしゃんと背を伸ばして立っていた。 「ああ、天野さん」  小さく名前を呼んだ清丸の後を村山がそっと通り抜けて喫煙室を出た。去り際に今度は軽く清丸の肩を叩く。同じ班であれば先の清丸に対してのように小言も指導もするが自分の領分ではないと判断したら手を引くのが村山という男だ。天野巡査が所轄刑事であることをわかった上での行動だろう。保身という訳ではなく、他の面子を潰さない配慮というものを心得ている。 「先程は、失礼しましたッ」 「何が、ですか」  村山が出ていくなり深く頭を下げたこりすに向けて清丸は数回目を瞬いて頓狂の声を装った。下げたときの勢いのまま、こりすの頭が跳ね上がり瞼の重くなった二重が清丸をまともに見返した。 「相談もなく、本部長に進言しました。」 「ああ、」 「自分とペアを組んでいるのは清丸です。先んじて相談をすべきだったと反省しています。」  目元の赤いのが動じることなく清丸を見ていた。自分の階級を彼女に伝えたのは誰だろうと考えながら、今更そんな瑣末なことはどうでもいいかと思った。それよりも、果たして彼女は何をいるのかと清丸は興味を唆られた。  謝罪に託つけてはいるが挑発的な態度、力んだ眉と堅い口許は怒りの表情にも似ている。 「それについてはお互い様でしょう」  視線を外し、山になった灰皿に向ける。こりすは小さく息を呑み、成り行きを見ていることが伺えた。 「俺は君に相談もなく捜査の配置がえを乞うたし、君に周響吾無罪の可能性を話しておきながら彼に共犯者がいる(てい)での捜査方針を新たに提示した。」  わざとらしく控えめな溜め息を吐き、額を掻く。灰皿に向けていた視線を更に落として自分の指先を見つめる。 「君に相談してから、掛け合うつもりだったんだけどね。」  落とすように呟き、力なく口角を上げて、視線をこりすに向ける。こりすと視線が合ったのを確認してまた、自らの握りしめた手に視線を落とす。こりすは必然、清丸と同じくその手に視線を落とす。 「が罵られることが耐えられなかった。」  意図して拳に力を込める。爪は白く変色し皮膚に食い込む。こりすはハッと息を飲んで清丸を見据えた。  一瞬、笑みが零れそうになった。 「あなたは物事を公平に、先入観なく見られる人だ。」  込み上げる笑いを抑えようとすると声が震えた。だが、こりすはそれを別の意で解釈しているだろう。見開いた目のまま、惑うようにだが、確かに先程より表情筋の弛緩が見て取れた。  大方、自分に相談しなかったのは階級の差か、或いは所詮所轄刑事と侮られたと思っていたのだろう。その穿った見方を覆すための言葉を清丸は玩弄する。 「しかも、行動力があり、女性らしい気遣いができる。」  弛緩したこりすの表情の中、ひくと片眉が跳ねる。言葉の選択ミスに気付いた清丸は下唇を舐め、湿らせて再び口を開く。 「ものをあなたは持っています。」  甘言にことりの目は大きく見開かれる。  男女の差で比較されたくないと願うのは決して愚かではない。地域の人に好かれるお巡りさんの『お姉さん』を目指していた天野にも、女性蔑視の横行する刑事課にいれば自ずとその芽は膨らみ、成長して根を張る。 「古くさい慣習と一方的で狭い視野。そういったものに惑わされていては真相にはたどり着くことが出来ない。だが、組織というのは頭が示した方向に進まねばならない。そこにジレンマがあります。」  清丸は眉根を寄せて表情を作り低く吐き出す。 「そのためには少しずつ、上手く、自分から頭を向かせたように上層部(うえ)に勘違いさせていく必要があるでしょう。」  苦渋の決断を述べるような重い声。一歩前に踏み出し、こりすとの距離を詰める。 「その一端を、一緒に担いでもらえますか」  潜めて呟いた声にこりすの眼が輝く。水を湛えた膜が黒い石のように輝いて、その光をくるりとカールした睫毛の瞼が遮った。 「あ。」  間の抜けた声でこりすは自分の目元に指を伸ばし、はたと落ちた雫と共に頷く。 「判りました。」  頷いて顔をあげたとき、彼女はもうきりと前を向いていた。 「私は、何をすれば良いですか。」  その明朗な声に清丸はゆったりと笑う。
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