事件

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 結局、この事件では8係 村山班と10係 九鬼(くき)班が帳場入りるすることとなる。  事件の残虐性はあるものの、殺害現場となったダイニングキッチン以外に荒らされた形跡はなく、また通帳、財布をはじめとした金品の類は手付かずのまま現場に残されていたことから、強盗の線が極めて薄い、怨恨を動機とした事件との見方が強い。最も有力で、最も重要な参考人である被害者夫婦の実子、(あまね)響吾(きょうご)の身柄さえ確保出来れば事件は早々に片が付く、そう見込むものが多かった。  同田貫本庁捜一1係管理官の指示で初回の捜査会議が開かれたのが午後二時。赤羽署内講堂に集められた捜査員は並べられた折り畳み式の長机に行儀よく並んで座り事件の『おさらい』をした。現着していれば判る内容だが、実際には現場に臨場せず捜査に加わる捜査員、また、科学捜査、サイバー課からの報告もあるので捜査会議を怠ることは出来ない。  周修二の死因は頭部への打撃による脳挫傷。ただ損傷が酷いため一打目がどこを打ったのか、どの部位に致命的なダメージを受け死に至ったのか、までを突き止めることは不可能かもしれない。その他、肋骨二本と鎖骨の骨折が、脾臓破裂に至る打撃、無数の打撲痕が見られることから相当の暴力にさらされたことが容易に想像できた。ミキサーに突っ込まれていた右手も損傷が激しいが検視がまだ終了していないため、死後のものか、生前に行われたものかはわからない。響吾の自室から見つかったトレーニング器具、写真から推測される体躯から痩身の修二を押さえ込むことは造作もなかったと考えられる。  恭子の死因は頚部切創による外傷性失血ショック死。こちらは刃渡り110mmのナイフによる切創(せっそう)であり、頚動脈の半分が切られているものの切断までには至っていない。刺し傷では、ない。  頭の中に写真で見ただけの周響吾が周恭子の首筋に刃物を立てる様を想像したが、その想像は想像のままで実際には掻き切ったという事だ。自分を生み、32年、自分を育ててきた母親の首筋に刃を滑らせる。突き立てるよりは柔らかな行動だと感じたのか、傷口は恐ろしいほどに綺麗で躊躇いがなかった。それほどまでに恨んでいたのか、その逆なのか。  母親は、どうだっただろう。  仕事を辞め、自室に引篭もった息子を、それでも保護し、自宅に住まわせ、講師になってからは同じ屋根の下で過ごすことも多かっただろう息子。専門教科は修二も恭子も共に音楽科だったという。響吾がピアノを始めたのは恭子の影響かそれとも、修二の影響か。幼少期の休日には親子で連弾することもあったのか。あの、ピアノ部屋で、小さな子どもの横で共に笑いながら鍵盤に指を走らせていたのか。  そのときは、こんな最期が降りかかるなど、修二も恭子も思わなかっただろう。慈しみ、愛し育てた息子が、社会に破れ、部屋に閉じこもり、自分に凶器を向ける。  その瞬間、定年近い教育者夫婦は何を思ったか。  清丸は手帳に2人の死因と気がかりな点を書き付けながら、肘を突いた右拳で口元を覆った。肺から込み上げるものに唇が歪むのを隠した。  本庁の村山班と九鬼班はそれぞればらされ、基本的にはベテランと若手、あるいは所轄刑事とツーマンセルを組んで捜査に当たる。初期捜査ですでに今朝から動いていた赤羽署機捜が続行して、現場となった自宅から半径100メートルの聞き込みを行う。実質機捜中心で周辺住民への聞き取りが行われることになるが、周 響吾の大学時代の友人、会社員勤め時代の同僚、現場に残されていた財布から通っていたらしいインターネットカフェへの聞き取りもある。鑑取りに大幅な人材を割いて然るべきだったが、清丸は同田貫の一声地取りに配置された。それでいて同田貫本人は別の帳場の指揮にさっさと向かったらしい。 「赤羽署捜一係、天野(あまの)こりす巡査です。よろしくお願いします!」  パイプ椅子に腰掛けたまま手帳を眺めていた清丸の頭上に張りのある声が降ってくる。  顔を手帳に残したまま、清丸は上目に声を伺い見た。黒髪に丸顔の少女のような刑事がやや上方に目を向けたまま敬礼をしている。  一瞬何の芸当かと思ったがしゃんと伸びた背筋と緊張した面持ちに、自分が組まされた所轄刑事であることに思い至り、席を立った。 「本庁捜査一課8係清丸宥志です。」  階級を名乗ることは相手への威嚇行為と同義になると考え、あえて伏せた。少し腰を曲げ、幅広だが薄い掌を差し出して口角を上げる。目元を緩ませると天野巡査は子どものように丸い目を更に丸くして肩の力を抜いた。  左手で手帳を閉じるのと差し出した右手に天野の華奢で白い手が触れるのは同時だった。 「よろしく。」   躊躇いがちに触れてきた手は包み込むと殆ど見えなくなった。握り返す力と共に笑みを深めると天野の頬が上気した。
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