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土曜出勤、静かなオフィス街をバックにしているというのに、今日も上司は色気を滲ませた瞳を向けてくる。いや、色気と感じているのはこちらの方で、今日もアホだなあこいつ、という目と言われたらそうかもしれない。
「まあ、お前、この間昇進したから、五万なんて軽いよな。上司の評価に感謝しろよ」
「だって俺、自分で言うのもなんですが、がんばりましたから……」
金持ちのボンボンの上司とまともに付き合おうとすると、金がかかる。
昇進のおかげで給料は跳ね上がったが、ついこの間奨学金を返し終わったばかりの田舎者が、遊べる相手ではないことは分かっている。
「いや、ホントに、考えてください」
「考えるも何も、急に……なんで温泉だよ」
「いや、だって、旅行したいじゃないですか。東京だと次長、気を遣うでしょう。周りの目とか。飲みに行ったって近場に遊びに出たって、上司の顔じゃないですか」
「当たり前だろう。上司だし。今日び、箱根に行ったって誰かしらと遭遇するぞ」
「もっと遠方は?」
「俺は無精なの。知ってんだろう」
「ちゃんとしたいんですよ」
パソコンから顔を上げて上司を見据える。
「ちゃんと、付き合っているって、示したいんです」
「……誰に」
「全世界に」
「仕事しろ」
上司の声音が先程と違った。
普段、仕事中でも穏やかなこの上司にしては珍しく、突き放した言い方である。
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