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このところ仕事が立て込んでいて、川嶋暁臣は疲れていた。
彼のボスの遊佐忠仁は元々超のつく多忙だったが、古くからの顧客の紹介が立て続けにあり、通常の倍近い仕事を、それこそ秒刻みの勢いでなんとかスケジューリングしてこなしていた。
もちろんそのスケジュールを実際にこなすのは遊佐で、彼も随分疲れているようだったが、回すほうの川嶋だって非常に消耗するのである。
そんな怒濤のスケジュールが、やっと一段落したところだ。
季節は夏から秋に変わろうとしていて、暑いのか涼しいのか日によって目まぐるしく変わる気温も、疲労の蓄積を促進させている原因だったかもしれない。
遊佐のクリニックは、遊佐が朝早くからの仕事を嫌うため、朝の始業は遅いが帰りも遅い。
特に川嶋は、誰よりも早くクリニックに行き誰よりも遅くクリニックを出るため、終電に間に合わず、帰りがタクシーになることが多い。
もちろん遊佐はタクシー代を惜しみなく払ってくれる。
なんならタクシーで行きも帰りも通えと言わんばかりだ。
そんなわけで川嶋は、その日も、最早馴染みになっているタクシーの運転手さんに軽くお辞儀をして、後部座席に倒れ込むように座った。
やっと明日は週末で、久しぶりの休みだ。
家まで少し寝ようかな…。
川嶋は小さく欠伸をして、瞼を閉じる。
うとうとと微睡んでいると、スーツの上着のポケットに入れているスマホが震えて着信を知らせた。
電話をワンコールで取らなくては、と咄嗟に慌てるのは職業病だ。
「はい」
慌てたので、画面に表示された相手を確認しなかった。
声が微妙に固くなってしまったのはそのせいだ。
「俺だ」
耳許に聞き慣れた低い声。
川嶋は、少し肩の力を抜いた。
「龍」
いつも感情を出さないその声が、ほんの僅か甘い響きを帯びる。微妙な違いだから、電話の向こうのそのひとしかわからないだろうけれども。
「どこにいる?迎えに行く」
電話越しに、その声は熱を帯びている。
川嶋がずっと忙しかったから、2週間ほど会えていなかった。
今日あたりになれば落ち着くと思う、と言った言葉を、彼の恋人は覚えてくれていたのだ。
会いたい、今すぐ抱きたい。
言葉にならない熱が、声に含まれている。
「タクシーの中。龍はどこ?」
ふ、と笑う気配がした。
「俺も車だ。お前のいるところにすぐに行けるようにな」
じゃあ、お前のマンションで落ち合おう。
それが一番早く会える。
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