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彼女の言葉には張りがなくなっていた。最初に感じた凛とした響きはどこにもない。
「私は生まれた時からこの森と共に過ごしていたわ。父と母に囲まれて何不自由なく。それはそれで楽しかったし、不満はなかった。でも、やっぱりいつも心のどこかで町や森の外に憧れていたの」
レシェーナは彼女の話をただ黙って聞いている。口を挟むような真似はしなかった。
「小さい頃、森を抜け出したことがあったの。でも、人の賑わいだとか町の灯りは、私にとって眩し過ぎた。今では少しだけ慣れたけど、やっぱり森で育った私には似合わないのよ。あの人も同じだわ」
諦めたような吐息が机の上の本にかかり、ページを微かに揺らす。
「わかっていたのよ。こんなに眩しい存在が私のもとにくるはずがないって。それこそ、幻なんじゃないかって何度も疑っていたわ。だから、安心してるの。『ああ、やっぱりこれがわたしだったんだ』ってね」
どこか虚しい静寂が室内を包んだ。
「そうかもしれません」
先に口を開いたのは、レシェーナだった。
「わたしはエルサさんのことは何もわかりません。だから、あなたがそう言うのなら、そうなのかもしれません。ですが、仮にそうだとしても、あなたが得た感情は幻ではなかったと思います」
「……そうかもしれないわね」
「『ハクラクラシベ』は危険な面もありますが、人の理想とする幻覚を見せる幻草です。もともとは、外敵から身を守るための防衛手段ですけど。それは人のためにもなる効果だと思います」
「ふふっ。あなた、幻草を駆除するのが仕事でしょ? そんなこと言っていいのかしら?」
「それは違います」
初めてレシェーナの口調に力強さが宿った。
「人と幻草の共存がわたしの目的です。人はより幻草のため、幻草はより人のため。互いの存在を切り離さずに歩み寄って暮らしていくことが、わたしの理想です」
それは彼女の嘘偽りない素直な想いだ。
彼女は幻草の駆除をしているのではない。学者として幻草について学び、互いにとってよりよい暮らしへと結びつけることが目的なのだ。
「面白い人ね。学者って皆そういう考えなのかしら?」
「きっと、そうだと思います」
レシェーナが微笑むと、エルサも笑った。
夕日がゆっくりと沈んでいく。
森は少しずつ夜の闇に包まれた。
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