姿なき想い人

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 張り詰めた空気が夜の闇を凍えさせる。  生き物たちが寝静まった真夜中。森は昼間とは一変して訪れるものを拒む表情になる。光はなく、あるのは夜行性の獣たちが縄張り拡大と食糧を求めて彷徨う足音のみ。時より吹き抜ける風は来訪者を冷笑しつつ、草木や花々を不規則に揺らしていた。  レシェーナは極力うるさくならないように気をつけながら進んで行く。傍にはエルサの姿もあった。 「もう少し先よ」  エルサに案内されるかたちで二人は暗闇の中を歩く。  彼女に影響を与えている幻草『ハクラクラシベ』に対処する方法は二つ。  一つは脳に寄生した香りを引き出せるほどの刺激を与えること。 もう一つは香りの発生源を特定し駆除すること。 前者は下手をすれば命を落としかねない危険な方法でもある。そこでレシェーナは後者を選ぶことにした。 『駆除はしないんじゃないの?』 『そこは大丈夫です。わたしに任せてください』  それだけ告げ、彼女はエルサが最初に甘い香りを感じ取った場所へと案内してもらっているのだった。脳に寄生すれば場所を選ばず幻覚を見せることが出来る『ハクラクラシベ』だが、そもそも自身のいる場所に近づいてきた生き物でなければ寄生するための香りを嗅がせることはできない。そのため、エルサが初めて幻覚に出会った場所こそが生息地となるのだ。 「このあたりだった気がするのだけど」  小屋を出て三十分ほど。休むことなく進んでいた二人の足がようやく止まった。  レシェーナは香りを吸い込まないように布を自身の口と鼻に巻きつけ、目を凝らしながら辺りを観察する。エルサも同様の恰好だ。 「あっ――」  ふいにレシェーナが声を漏らす。彼女から数十歩離れた巨木の下。風景からくっきりと浮かび上がったようにして一輪の白い花が咲いていたのだ。夜の闇をもろともしない輝き。辺りが暗いのにかかわらず、その花から出る白い光が花自体を煌めかせている。 「きれい……」  エルサの小さな呟きが聞こえた。 「はい。とても、とても美しいです」  黒の中に一点だけ揺れる白。  それは常識を超えた、この世のものとは思えない優雅さと可憐さを兼ね備えていた。  レシェーナはリュックから瓶を取り出し、数歩だけ近づくと、蓋を開けて目を閉じる。  その瞬間、彼女の身体を淡い緑色の光が包み込む。  光は膨れ上がりながら円を描き、彼女の手首の周りで回転し始めた。
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