姿なき想い人

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 突然地面に落ちた本を拾い上げながら、レシェーナ・プラントエルトは首を傾げた。確かにリュックの中にしまっていたはずだと思って荷を降ろすと、なんとリュックの口が空いている。自分の確認不足に苦笑いを浮かべつつ、彼女はもう一度本をしまうために腰を屈めた。  強い日差しが森の木々の葉によって遮られているので地面には彼女の影がない。どこか涼しげな風が吹き抜け、葉がこすれ合う音が周囲に響き渡った。  レシェーナはふと顔を上げる。  緑の隙間から覗くはずの水色が時折通過する白色で見え隠れしていた。 「いい天気……」  呟いた言葉は誰へ向けられたものでもない。返答の声は当然なく、草木から漏れだす音だけが返って来た。森の香りがレシェーナの鼻をくすぐる。  彼女が立ち上がり、再び歩き出そうとしたその時、首から下げた木製の十字架がひとりでに揺れながら高音を奏で始めた。突発的な音が自然と眉を顰めさせる。 「もしかして、近いの?」  彼女の顔は途端に緊張で強張った。慎重に辺りを見渡しながら、警戒の視線をくまなく張り巡らせる。リュックを背負い直しながらも注意を怠ることはしない。どこに何があるのか。状況をその目できっちりと確認しようと息を潜めつつ、ゆっくり歩き出す。足音さえ立てないようにしているため、一つ縛りになった紫色の長い髪はほとんど揺れない。せわしなく動いているのは彼女の頭だけだ。小さな変化も見逃さないよう、きょろきょろと辺りを観察している。 「おかしいな……」  何も見つけられないことを怪しんだ瞬間、低く唸るような声が茂みの中から微かに聞こえた。  本能的にレシェーナの足が止まる。 「え、えっとぉ――」  何事かの対策をしようとしたのだが、その分の頭の回転は無駄に終わった。 「ガァァァ!」  四本の足に鋭い角を持った獣が飛び出してくるかと思うや否や、レシェーナ目がけて突進してきたのだ。体躯は彼女の二倍ほど。茂みに隠れていたことが不思議に思えるほどの大きさだ。  不気味に光る眼がレシェーナの視線とぶつかる。  一瞬の沈黙。 「ちょっ! ちょっと――」  やめてと言う間もなく獣が迫った。期待などしていなかったが、話が通じるような相手ではないらしい。 「なんで追って来るのぉ!」  泣きそうになる気持ちを堪えながら、一心不乱に逃げ続ける。危機に瀕しているためか、足の疲れや呼吸の苦しさは感じない。
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