0人が本棚に入れています
本棚に追加
では私が書いた『傑作の証明』は、どんなものだったのか。簡単だ。ひたすら魔王に媚びただけの駄作である。
「まさに感動作品で、もう言葉にできないほどの感銘を受けました。」こう評しているのは、内容に触れると媚び売り作品だとバレてしまうからだ。
例えば作中の時間芸術家の台詞に『王の時間を授けよう』からの引用がある。
魔王の著書『王の時間を授けよう』もくだらない自己啓発本だ。王が時間を操っており、過去も現在も未来も全て王の手の中にある、ということしか言っていない。いかにも哲学者ぶっているが、「俺ツエー」としか言っていないのだ。
そして、そんなくだらない本から引用すればするほど作品としての評価が上がる。内容ではない。いかに魔王に媚びているかが重要なのだ。
例えば『傑作の証明』の作中で「素晴らしい光に導かれた」という表現を何度も使っているが、これも魔王をたたえる隠語だ。伯爵や侯爵などの貴族連中や魔王の配下の者の間でよく使われている表現を使っただけに過ぎない。
私は斬り落とされた両手の痛みに耐えながら必死で口でペンを持ち書いた。心の中では怒りに震えていたが、魔王が喜ぶものを書くことが魔王に接近する唯一のチャンスだったのである。
最初のコメントを投稿しよう!