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黒い雲が低く垂れ込め、雨は横殴りに降っていた。
時折稲光がさし、嫌な音がする。じいちゃんはびしょ濡れになりながら、田んぼに張り巡らされているネットが外れていないか、確認しているところだった。近くまで行って呼ぶと、じいちゃんはまるで幽霊でも見たかのような顔をした。
「お前が、ないごてここに?」
「迎えに来たんだよ。こんな状況で田んぼにいたら危ないって」
「はあ? こげん状況だから、ここにおっとよ」
「なに言ってんだよ。こんな水が増量してる用水路に落ちたら流されて死ぬし、こんななにもないところに突っ立ってたら雷の餌食にされて死ぬ。どっちにしたって死んじゃうんだぞ」
「そげん簡単に死んだりせん」
「その考えが危ないって言ってんの。毎年『田んぼの様子見てくる』つって、死人が出るじゃん。自分だけが特別助かるなんて思うなよ。ばあちゃんがすげー心配してた。じいちゃんが死んだら、ばあちゃんが悲しむんだぞ」
「あいつはせーせっすだっけじゃ」
「ばあちゃんだけじゃない。母ちゃんも父ちゃんも、実だって悲しむ。晴だって、ご近所さん達だって、みんなみんな、なんでわざさざ田んぼで人生終わらせちゃったんだって、思うに決まってる」
「田んぼで死ねるんなら本望だが」
「あーもう、この頑固ジジイ! こんな田んぼのために命投げ出すやつがあるか!」
俺が叫んだ瞬間、稲光がした。
じいちゃんの鋭い両目がギラリと光り、その姿がすぐ目の前に迫った。左頬に衝撃が走る。俺の身体はあっという間に田んぼの中に倒れていた。
鼓膜を震わせる低い雷の音と同じくらい低く、じいちゃんは言った。
「こげん田んぼだと? お前はやっぱい、そう思っちょったんね。そんなお前に、おいの気持ちが分かるはずがなか。そんな考えの奴に田んぼに入られたくなか。邪魔じゃ。さっさと帰れ!」
俺とじいちゃんを隔てるように、雨がいっそう強くなった。
じいちゃんに殴られた左頬が熱を持つ。口の中に鉄の味が広がっていく。
まるであの日のようだった。
「ほーさく」
たのんが俺の隣でつぶやいた。
俺はたのんを見もせずに立ち上がると田んぼを出た。
じいちゃんが追いかけてくることはない。
俺なんか最初からいなかったかのように、見向きもしていないだろう。
俺は家とは反対方向に走り出した。雨の中をひたすらに走った。
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