第七章 風吹かず(二)

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~風吹かず(二)~ 「晩秋の川霧ふかき宵闇に死の家ごとく浮かぶ家はも」 ※当時横浜市泉区を流れる境川をよく散策しました。唯一の慰めだったかな…? 「寅年のわれ老ひければ龍の年相喰み負けてガンとなりしか」 「土気色おぞしきほどのわが肌はガンに応ふる死に装束たり」 「胆管の癒着はげしく腫瘍大手術否めばいのち失せなん」 「苦しきは胃カメラ飲みに内視鏡身もて知らるる不摂生の報い」 「業平のいつか行く道とおぼへどもうつしとなれば踏み出しかねつ」 ※在原業平の名歌「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」はまさにその通りでした。死はとつぜんやって来る、それへの備えはありません…。 「ガン患者為すすべなくて伏す我の夢のなかでは立ち騒ぐらむ」 ※上の歌には「など(なんで)」という疑問詞が伏されています。業平の名歌「久方のひかりのどけし春の日にしづこころなく花の散るらむ」もそうなのですが、さてその「など」は歌のどの部分に伏されているかわかりますか? 「夜九時に寝ぬるものかは消灯時ラッパ鳴らねど兵舎おもはる」 「うばたまの夜こえるらし今宵またおぞしき夢とて行かな眠らな」 「死ぬるとて誰と相見ん語るべき人‘間’失格隠すべくなし」 ※人の間と書いて人間とします。人との関わりの中にこそ人間の意義はあるのでしょう。この意味で私は完全な失格者でした。入院してよくそれがわかりました。 「怒るをさへ愛に受くべき看護師(ひと)のゐて我は驚きすなはち恥じつ」 ※茅ヶ崎市民病院の看護婦さん。ガンの鬱屈からとはいえ、恥ずかしい真似をして申し訳ありませんでした。 「廊下をば人のしば通るさはあれど我に来ぬべき見舞客ばかり」 「ガン癒えて命ながらふ幸あればあれせむこれせむ人に見えむ」 「九時間の手術おはりて目を覚ます我しはおぼへず医師の倦むこゑ聞く」 「熱くかつ寒く激痛止まずわななききいまさら知れる命の瀬戸際」
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