凍土を食む

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 静かな部屋が私を待っていた。洗濯機の湿った衣類に手を突っ込んでいたら、彼のデニムから定期入れが(まろ)び出る。足下に落ちたそれから視線を逸らそうとする私。着実に伸びていく緩慢な指先。よせばいいのに、定期券の裏から湿った紙片をずるりと引き出した。  滲んだ筆跡で踊る私の名前、そして彼の変わらぬ気持ち。  自嘲の呼気に鼻筋が引き攣る。眼孔を侵す生温(なまぬる)い雫に屈した私は、彼を背後に感じる。 「こんなの、いつの間に」  琥珀の液体を湛えたカップが、机上で鈍く(きし)む。  輪郭を曖昧にした世界で、彼の姿はおろか言葉すらもう失った。刹那、部屋着のポケットから失くしたはずのピアスが零れ落ちる。掻き消えた彼の代償のつもりか。ほんの僅かな間に、軸には錆びが浮いていた。  粒状に沸き立つ二の腕を掻き抱いて、自室の沈黙にせめてもの抵抗を示す。嗚咽。性懲りもなく温もりの薄片に焦がれた。  夏にすら見放されて、それでも私は。 (了)

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