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第玖章
その本屋はなんと、私の故郷にあった。
灯台もと暗しとはこの事だ。電車を降りて街を歩くと、懐かしい思い出がいくつも甦ってくる。特に高校の頃の思い出は、寂しくも美しい夕焼けのようで、心にしみて痛い。
感傷に浸りつつ路地を曲がる。ああ、ずっと昔に読んだ小説の、モロッコの・・・そう、フェズの街を思わせる狭い路地裏。想い出と共に歩くこと十分、小さな小路の先に、その本屋はあった。
はて、こんなところに本屋などあっただろうか?
店は小さく、壁の漆喰が西日を吸い込んで黄土色に染まっている。それは世界から取り残された忘れ物のように、忙しい時代の中で、ぴたりと時間を止めていた。
両側のナツメヤシに見守られながら細い小路を進むと、入り口の看板が私を出迎えた。
『本のオアシスあるふぁようむ』
そう書かれた文字に、私ははっと息を飲んだ。
瞬間、脳内シナプスが火花を散らせて回路が繋がった。
たぶん、何かが繋がる。
予感に突き動かされて木のドアを押し開ける。
すると、そこには、本屋の主が立っていた。
その女店主の、メガネの奥の瞳が優しく微笑んで私を出迎えている。
それは君だった。
図書委員だった君が。
私の恋人が!
声も出ない。
ただ『マクトゥーブ』という言葉だけが頭の中で繰り返され、脳蓋で反響している。
呆然とする私に、君は本を差し出した。
そこには、色褪せた栞が二つ、顔を覗かせていた。
完
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