プロローグ

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 狼がその気になれば、自分など出会った瞬間に食べられてしまっていたのだと。  何故そうされなかったのか?  きっと、自分がいつも人形で遊ぶように、この狼もまた自分で遊んでいたのだろう。  それもおしまいだ。闇狼の瞳を直視した少女は悟った。 「やだ……やだよ」  頬を涙が伝った。叫びたいのに喉が引きつって上手く声が出せない。徐々に闇狼が近づき荒い息遣いが間近まで迫ってきている。  少女は後退ることすら出来なくなって、ぎゅっと瞼を閉じた。  浮かぶのは、鋭い牙が、爪が、自分の喉を噛みちぎり、引き裂く光景。  転んだだけであれほど痛かったのだ。食べられてしまう時の痛みはどれほどだろう? (怖い怖い怖い怖い怖いーー!)  現実になるであろう想像に身を硬くし、掻きむしるように手で頭を覆った少女は、すぐにその異変に気が付いた。  狼が襲ってこない。それどころか、想像したものとはまるで正反対のものが少女を包んだ。  頭を覆っていた小さな手を撫でる、節だった手の温もり。そして、闇狼のものであろう威嚇の唸り声と同時に耳に響くのは、少し怒ったような、しかし、それ以上の安堵を含んだ声だ。 「年寄りをあまり走らせないでおくれ。何はともあれ無事で良かったわい……」  その声に少女はゆっくりと瞼を開き、思わず目を見開いた。  少女の瞳に映ったのは、自分を庇うように雄々しく翼を広げた(おおとり)の後ろ姿。  大きさは闇狼よりも更に大きく、長い嘴と首を持ち、身体全体を柔らかな羽毛が包んでいる。そして、その鳳の一番の特徴は、嘴も羽毛も何もかも、向こうが透けて見える水で構成されているということだ。  少女は驚いたまま傍らに立つ人影を見上げた。  左手を少女の頭に置いているその影は、裾の擦れた白いローブを身に纏う老いた男のものだ。短く刈り込まれた白髪に、長く立派な顎髭。目は細く、開いているのかすら定かではない。右手には微かに蒼い光を放つ空のガラス管が握られている。  身を低くして唸る闇狼を見据えながら、老人はもう一度少女を撫でた。 「最初に言っただろう? ここにいるのは工房の中にいる人工精霊(エインセル)のように安全なものばかりではない。だから私から離れないでおくれと」 「ご、ごめ……なさっーー」
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