16人が本棚に入れています
本棚に追加
翌日、彼女の部屋から出て行くところで、知り合いに鉢合わせた。羊の角を生やしたその男は、能天気にテオドロスに話しかける。
「また新人さん?」
「ああ。クロードさんは?」
「俺はねー、次から大仕事! なんとあの清澤社の秘書に会いにいくんだー」
三十過ぎた見た目に伸ばしっぱなしのウェーブを描いた髪、無精ひげに、年齢に見合わない口調。頭が悪そうにも見える彼がこの団体の幹部だというのだから、おかしなものだとテオドロスは幾度となく思った。
「そりゃ大変だ。俺は無印の狼だから清澤社のことはよく知らないけどな」
正直全く興味はなかった。そもそも、こんな見た目の男があの清澤社の敷居を跨げるはずがないからだ。
「ハハハー、でも感慨深いなぁ、目を真っ赤に腫らしてきた君が、無表情で汚れ仕事でもなんでもするんだから」
彼はまた何も考えてないような顔で、にこにこと言った。だからといってテオドロスの癇に障ることもない。彼には欠片も悪意がなかったからだった。
「もう泣かないの?」
首を傾げる男には、本当にどこまでも悪意はない。
「あの人以外に俺が怖いと思うものも、俺を揺らすものもないからな」
「そこまで好きなら帰ればいいのに」
微妙に会話の噛み合わない彼は、ただ不思議そうに首を傾げた。彼にふっと笑いかけて、テオドロスはクロードの手を握った。一晩中女の頭の下に敷かれ、血が通い難かったテオドロスの手は冷たく、クロードの熱を奪った。
「俺の手、冷たいだろう。相手の暖かさを奪うばかりで、何もしてやれない位なら……いない方がマシだ」
「でも、いつかお互い暖まるよ」
テオドロスは少しだけ目頭が熱くなり、誤魔化すようにサングラスを上げ直した。そして、クロードの手を離して背を向けた。
最初のコメントを投稿しよう!