突然の辞令で彼の会社へ出向します

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副社長の首の後ろに手を回していた大橋さんが、わたしの方を見て、ふふっと妖艶に笑った。 副社長はつかんでいた彼女の腕を離して、 「……始業時間だ。持ち場に戻ってくれ」 と低い声で言った。 「どうして、わたしが制服で、あの人がスーツなんですか?」 大橋さんが拗ねたように抗議した。さすがにもう、副社長からは手を放してはいるが。 彼女の言う「制服」というのは秘書室長から割り振られた仕事をする「グループ秘書」のことで、「スーツ」というのは重役付きの「プロフェッショナルな秘書」のことだ。 大橋さんは、今の雑用係ではなく、副社長の個人付きの秘書になりたいのだ。 「……もう一度言う。始業時間は過ぎてるんだ。 持ち場に戻りたまえ」 副社長は冷たく言い放った。 ……おおっ!『……たまえ』なんてドラマや小説やマンガの中で使う言葉だと思っていたよ。 日常生活で使ってるの、初めて見たわ。 大橋さんは、一瞬、ふてくされた顔になった。 ……が、次の瞬間、ハッとして我に返り、副社長に向けて極上の笑顔を見せた。 そして、副社長室から出て行く際、わたしとすれ違いざまに「調子に乗らないでよ」と息だけで言った。 それでも、ちゃんとわたしになにを言ったかわかるから、たいしたもんだ。その能力を仕事で活かせたらいいんだけれども。
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