イケメン秘書と婚約指輪を選びます

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「あ、あの……確か自動車がTOMITAグループの基幹産業でしたよね?」 思わず言ってしまったのは、目の前の「社用車」がメルセデス・マイバッハS600だったからだ。 「副社長が、重役会議で弁舌巧みに、 『他社の高級車を身をもって知らねばならない』 『目産のコーン氏だって実験車だと言ってポルシェに乗ってる』 と訴えて、他の役員たちを丸め込んで承認させたのです」 助手席(ナビシート)のドアを開けた島村さんが無表情のまま言った。 ……『丸め込んで』ということは、やっぱり、自分が乗りたかったから、だよね? 運転手の人が後部座席(リアシート)のドアを開けてくれたので、わたしも乗り込む。 マイバッハが滑るように発進する。 わたしはマイバッハのまるで飛行機のビジネスクラスのようなラグジュアリーな内部を見渡した。後部座席のアームにはシャンパングラスやワイングラス専用のホルダーがある。今はもちろん、なにも入っていないが。 もし島村さんがいなかったら、この適度にホールド感のある超高級なシートで、絶対手足を思いっきり広げて「んうぅーん」なんて言いながら伸びができるのになー、とバカなことを考えていた。 背がそこそこ高いと、脚をちゃんと伸ばせない、せせこましい空間は苦痛でたまらないのだ。 助手席の島村さんはタブレットを操作しているようだ。その指先がせわしく画面をタップしていることだろう。たぶん会社にいなくてもここで仕事しているのだと思う。 「……あさひグループの本家筋のあなただったら、あたりまえのようにこんな車で送迎されていたんじゃないですか?」 突然、島村さんが質問してきた。きっと、その目はタブレットのままだ。 わたしは、島村さんという人を、同じ空間にいても別に喋らなくても大丈夫な人、いやむしろ、喋りかけられたくないと思ってる人だ、と勝手に思っていたので、突然の質問にちょっと挙動不審になった。 「ま、まさかっ。遅くなったときは父に車で迎えに来てもらいましたけど、普通に電車やバスでの移動ですよ」 わたしはそれだけをなんとか言って、あとは流れていく車窓の街並みを見た。 それからは話しかけてくることはなかった。 どうやら、銀座方面へ向かっているようだ。 やがて、マイバッハがすーっと速度を落として路肩に寄り、ある店の前で停車した。 「ブシュロン」だった。
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