8179人が本棚に入れています
本棚に追加
ほかにだれもいない「個室」で島村さんと二人きり、というのはなんだか落ち着かない。
マイバッハでは運転手さんがいてくれたからよかったものの。
とりあえず紅茶を飲んでいたら、島村さんがココマイスターのブリーフケースからタブレットを取り出して、せわしく画面をタップしだした。
忙しいのに、上司の婚約者なんかのためにこんなところに来なきゃいけないなんて、それでも寸暇を惜しんで仕事しなきゃいけないなんて、サラリーマンの悲哀だ。
……ちゃんと時間外手当、出てるのかな?
あっ、この人「役付き」だっ。管理職だから出ないよっ。
「あの……申し訳ありません。業務外にこんなことまでしていただいて」
副社長にとっては部下かもしれないが、わたしにとっては上司である。
わたしは、いたたまれない気持ちでいっぱいになり、思わず声をかけた。
「これは、私のもう一つの仕事に関わることですから、お気になさらなくて結構ですよ」
……『もう一つの仕事』?
「会社の業務外では、副社長のことを『将吾さま』、あなたのことを『彩乃さま』とお呼びしますが、これもお気になさらずに」
島村さんは平然と、なにかワケのわからない、謎なことを言った。
「……はい?」
わたしは聞き返したが、
「そのうち、わかりますよ」
島村さんは答えてくれなかった。
「『彩乃さま』も業務外では将吾さまのことを役職名ではなく、名前で呼んであげてください」
ついでのように言われたこの言葉の方に、衝撃が走った。
「……えっ!?」
目を見開いて、素っ頓狂な顔をしているに違いない。
……向こうは、わたしのこと「あんた」なんだけど。
そのとき、先刻の店員さんが戻ってきた。
最初のコメントを投稿しよう!