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慎重に歩み寄ると、一慶は母に声を掛けた。
「久し振り。」
彼女は、ゆっくりと顔を巡らせる。そして目があった途端、虚ろだった顔がパッと輝きを帯びた。
「慶之さん!やっと会いに来てくれた!!」
母・美野里は、夫に生き写しの息子を見て、嬉しそうに微笑んだ。彼女の世界は、慶之が謀叛を起こす前の、『幸せな過去』のまま止まっている。一慶を、亡き夫・慶之だと頑なに思い込んでいるのだ。
「酷いわ、慶之さん!私を独りぼっちにして。今まで一体、何処で何をしていたの!?」
「ごめん。仕事が忙しくて…」
殊勝に頭を提げる一慶に、美野里は尚も恨み言を重ねる。
「私の事なんて忘れていたんでしょう?」
「そんな事ないよ。」
「嘘。手紙ひとつくれなかったじゃない。」
拗ねる美野里は、まるで十代の娘の様だった。彼女の中には、慶之の死に纏わる記憶など、片鱗も残っていない。新婚当初の満たされた時間だけが、永遠にループしている。
一慶は、甘える様な眼差しを投げる母親に、優しく微笑を返して言った。
「これからは気を付けるよ。ちゃんと連絡する。」
「嘘ばっかり!慶之さんは、いつもそうやって誤魔化すんだから!!」
プイと横向く美野里に、一慶は困った様な笑みを履く。それから、肩越しに薙を振り返って手招きした。
「薙。」
「う、うん。」
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